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中世の町並みが残るクラクフ歴史地区も世界遺産。クラクフは11世紀から600年近くヨーロッパとアジアの交易の都として栄えた。当時、重要な交易品の一つが特産品である塩だった。塩はクラクフから40キロほど離れたボフニャで採掘された。ボフニャ岩塩坑は13世紀半ばに創業し、20世紀末に生産を停止した。今は鉱山の一部を一般向けに公開している。総延長16km、最深部342m。約1300万年前、このあたりは海だった。やがて海底が隆起し海水が蒸発して塩の層となり、それが地下に埋もれて岩塩になった。海から遠く離れた内陸部でとれる塩は貴重なものだった。
中世の坑夫をかたどった彫刻は岩塩を彫って作られていた。ここで働いていた坑夫たちの作品だ。ボフニャ岩塩坑では最盛期、500人以上が働いていた。落盤事故などで命を落とす人も少なくなかった。馬は岩塩を運ぶ動力として欠かせない存在だった。坑夫が残した岩塩の彫刻はいくつもあった。坑夫たちは岩塩を掘った穴に祈りの場も設けた。地下212mに坑内で最も大きい祈りの場があった。280年ほど前に作られた礼拝堂だ。ヴィエリチカとボフニャの岩塩坑は坑夫の信仰や生活を伝える貴重な場所として1978年、世界遺産に登録された。
ヴィエリチカ岩塩坑は1978年、世界で初めて登録された世界遺産の一つ。地下約100mに美しい礼拝堂がある。一度に400人が祈りを捧げることができる。岩塩の壁に彫られた宗教画のレリーフも坑夫たちの作品。一般の人の立ち入りが禁じられている場所には自然が作り上げた塩の結晶がある。中世ヨーロッパでは「白い黄金」と呼ばれるほど貴重だった塩。ポーランドでは地下でとれた岩塩が地上で黄金に変わり豪華絢爛な大聖堂が作られた。
かつて塩はポーランド経済を支える大きな柱の一つだった。16~17世紀にかけての最盛期には年間3万トン以上を採掘したと言われている。クラクフ歴史地区はいくつもの戦火を逃れ中世の町並みがそのまま残っている。歴代の王が居住してきたヴァヴェル城には王宮や聖堂が作られている。ポーランドは採掘量を増やしていくにつれ、比例するように領土を拡大していった。14~16世紀、国の収入の3分の1が岩塩によるものだった。
「世界遺産」の次回予告。
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