三河一向一揆を経験している徳川家康は宗教の恐ろしい側面を知っていた他、禁教令を発布した当時、オランダとの貿易関係が好調。クレインス教授は「オランダ人は基本的に商人、布教活動にあまり関心は無かった」と話す。佐藤二朗は「家康は外交で多くの国と関係を構築しようとしていたからこそ、選択肢があり、そこから最善の結果を導き出そうとした」などと語った。また、家康の外交路線が継続していたら、鎖国は起きず、日本が貿易立国になっていたことも考えられるといい、佐藤は「『べらぼう』の内容は大きく変わっていた」と締めくくった。