新選組の初代局長は芹沢鴨で、近藤勇と比べて身分は上。徳川御三家の1つ、水戸藩の出身だった。実は尊王攘夷のための活動資金を募っていて、そのためには人を暴行したり、殺傷も厭わなかったという。藩に捕縛されたが、徳川家茂と和宮の婚姻が決まったことによるお祝いとして恩赦で釈放された。だが、京都でも裕福な商人に接近して金をせしめていた。要求に応じなければ商家に火を放つなど、暴力的な気質は変わらなかった。会津藩主の松平容保は芹沢の悪行三昧に憤り、呼び出した近藤に処断を命じた。
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