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「新日本紀行」 のテレビ露出情報

1981年。北九州市役所で一人の新人が頭を抱えていた。地元の高校を卒業したばかりの久保田和也は望まぬ部局に配属されていた。水道局は強烈な結束で知られ「水道一家」の異名をとっていた。苦労は多いのに光の当たらぬ仕事だと思った。水道局で18年目を迎えた時のことだった。水道一家の親分、部長の森一政に突然「半年間カンボジアに行ってくれないか」と言われた。内戦が7年前に終結したばかりのカンボジアは治安は改善したものの傷痕は深く銃犯罪も横行していた。そんな中、復興を支援するJICAは日本の水道技術者の派遣を要請。森が水道局に入った1972年。工業地帯を抱える北九州は深刻な環境汚染と闘っていた。汚染された水を浄化しなければ水道水が確保できず、苦労を背負ってきた。
1999年、久保田はカンボジアの首都プノンペンに降り立った。人口およそ100万。しかし暮らしを支える水道は劣悪そのものだった。日本のJICAやフランスなどの支援で新しい水道網の建設は進んでいた。それを維持管理する技術者を育てるのがミッションだった。かつて独裁体制を敷いたポル・ポト政権は教師や医師などの知識人を徹底的に弾圧し虐殺。水道技術者も命を奪われた。久保田の任期は半年。そこそこに仕事をしようと思っていると一人の男が訪ねてきた。エク・ソンチャンはもともとは高校の物理教師。ポル・ポト政権下家族全員を虐殺され身分を隠して生き延びた。ポル・ポト政権崩壊後は祖国復興のため官僚に。ソンチャンは「庶民は清潔な水が高くて買えず汚れた川の水をくんでいること。まん延するコレラ。そして水くみ労働で子どもは遊ぶ時間すら奪われていること」を久保田に語った。ソンチャンは水道公社にはびこる汚職を一掃すべく信頼できる10人の部下を中心に改革を断行していた。久保田は水道技術のいろはからカンボジアのスタッフに教え始めた。この国に希望の水を届けたい、国境を越えたプロジェクトが静かに始まった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年8月24日放送 11:15 - 11:25 NHK総合
10分で巡る にっぽんの廃線(10分で巡る にっぽんの廃線)
石炭などを運ぶために作られたことで市街地を走行せず、慢性的な赤字に悩まされていたという添田線、筑豊炭田からの石炭輸送で活躍した宮田線、リフト式の鉄道橋を走行していた国鉄佐賀線、地元の民謡で乗客をもてなすという名物車掌がいた高千穂鉄道など、九州で初めての電気鉄道として開業した別大線など、かつて走行していた鉄道や路面電車の姿をNHKの放送番組の映像から紹介した。[…続きを読む]

2024年7月18日放送 23:50 - 0:35 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀バタフライエフェクト)
1945年9月6日の東京の映像が流れた。これは終戦から3週間後の様子だという。アメリカ軍の空襲によって東京では10万人以上が命を落とし、市街地の半分は消失したという。そうした中で尾津喜之助は戦後東京でいち早く闇市を開いたという。こうした闇市は組が行っており、組はみかじめ料を取っていたという。
焼け跡の東京には別世界もある。GHQは進駐と共に850軒の土地や[…続きを読む]

2024年7月9日放送 16:05 - 17:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン蔵出しセレクション
今回は、千葉県佐原市(現在の香取市)の女性船頭たちを取材した「新日本紀行 女たちの十六島〜千葉県佐原市〜」を紹介。与田浦で船頭をして働く女性達は十六島と呼ばれる地域の農家の主婦達。十六島は利根川下流の中洲に当たる地域。大竹照子さんは20歳から十六島に嫁いできており、副業として船を漕いでいる。昭和39年から始まった土地改良事業は十六島の水路のほとんどを道路へと[…続きを読む]

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