外山禎彦・90歳に話を聞いた。外山は、太平洋戦争末期の1944年に郊外へ学童疎開した。過酷な集団生活の中で、軍歌の替え歌が密かに歌われるようになったという。替え歌は全国で歌われたが、疎開先で口伝えで広がったと考えられる。替え歌は、少年飛行兵養成の施設(通称「予科練」)でも歌われた。予科練平和記念館・歴史調査委員・中川龍・84歳が当時の体罰について説明。立命館大学・鵜野祐介教授の授業の様子。
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