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「日中戦争」 のテレビ露出情報

1920年代の上海の様子が伝えられた。辛亥革命によって中華民国が成立したが、周辺には列強が支配する租界が残されて強い影響力を残していた。そうした中で中国共産党が誕生し、ソ連から資金提供を受けて革命を目指した。その中に毛沢東も含まれていた。中国国民党に攻撃される中で毛沢東は軍事指導者として頭角を表すようになった。その後、日中戦争が発生し共産党と国民党は手を結んで日本に対抗し、多くの若者が集まった。その中に李鋭も含まれていた。
日中戦争が集結すると中国共産党と中国国民党の間で内戦が勃発した。共産党は農民を味方につける取り組みを行い、形勢は中国共産党に傾き勝利した。毛沢東は連合政府を敷き、国家主席には毛沢東が選ばれた。1953年に中国共産党の後ろ盾になっていたスターリンが死去した。毛沢東はソ連と距離をおいて独自路線を模索した。毛沢東は政策に逆らう者を弾圧するようになった。一方で建設的な意見を言う李鋭を秘書に抜擢した。
1958年。毛沢東は大躍進政策を打ち出した。農業の集団化も進めて、私有財産を禁止して人民公社を作った。ただこの大躍進政策の空虚な実態が幹部の中にも広がるようになり、彭徳懐は毛沢東に政策の見直しを提案した。ただ毛沢東は激怒し、彭徳懐は失脚し、李鋭も党を除名された。その後は中国全土で飢饉が広まり多くの餓死者を出した。毛沢東は政治の第一線から退いた。ただ林彪が毛沢東を担ぎ出し表舞台に出てきた。毛沢東は文化大革命を起こし、この動きは日本を含めた世界に広がった。
日本の音楽界では坂本龍一が毛沢東の著作の熱心な読者で、アルバムで毛沢東の詩を流したりしていた。一方で毛沢東のライバルたちは反革命分子として死に追いやられたという。彭徳懐は引き回され、李鋭は監獄に収監された。そして毛沢東は主席に返り咲いた。一方で蜜月だった林彪との関係は長続きせず、そこから毛沢東は急速に衰えていった。そして1976年に毛沢東は死去した。
文化大革命の終了後、最高実力者になったトウ小平は、毛沢東への過剰な個人崇拝が混乱を招いたという反省から集団指導体制を導入し、憲法も定めて国家主席の任期を2期10年とした。こうした中で毛沢東の人気が再燃している。習近平による毛沢東の再評価をしている。そうした中で李鋭は2019年に101歳で亡くなったという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年3月9日放送 18:30 - 22:24 テレビ東京
池上彰の昭和100年&令和の挑戦者SP池上彰×土屋太鳳 昭和100年
昭和16年。太平洋戦争のきっかけになったというのは資源の少ない日本が戦争を続けるためには石油が必要だったが日中戦争を戦っていたことに対してアメリカなどからの経済制裁を受けた。今のインドネシアの油田を自分のものにしようとしてインドネシアを攻撃。日本はなぜ真珠湾を攻撃したかというとインドネシアの石油を狙っていたから。昭和48年オイルショック。発端となったのは大阪[…続きを読む]

2025年3月3日放送 20:30 - 21:54 テレビ朝日
クイズプレゼンバラエティーQさま!!昭和100年シリーズ第2弾!日本の名所・絶景・世界遺産 昭和の貴重映像ランキングBEST10
貴重映像問題「7位の名所・絶景・世界遺産はどこ?」と出題。正解は「錦帯橋」。
歴史問題「錦帯橋を訪れたこの偉人は誰?」と出題。正解は「篤姫」。
地理問題「世界の有名な橋左から順に3つ全て答えよ」と出題。正解は「ゴールデンゲートブリッジ、ろこう橋、ポンヌフ」。

2025年2月19日放送 19:57 - 20:42 NHK総合
ファミリーヒストリーファミリーヒストリー 小島よしお
久米島で加那の孫として生まれたのがよしおの祖父敏一だった。敏一は人を笑わせるのが大好きな集落の人気者で家の向いに住む長松さんは「冗談をよく言いいっときの話でも1時間くらい話す」と話した。昭和12年1月20歳で陸軍の招集を受け日中戦争の最前線で左腕に重傷を負った。復員後は少しずつ農業を再会し昭和17年に結婚、長女が生まれた。昭和19年に再び招集を受け臨月を迎え[…続きを読む]

2025年2月19日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(特集)
秋田市出身の弘子さんは父を日中戦争で亡くした。当時2歳だった弘子さんは戦争で家族を失う悲しさを戦争を知らない世代にも知ってもらおうと手記で伝えようとしている。日本画家として活動する弘子さんは現在は東京で暮らし、幅広い世代に絵画を教えている。60年余前、弘子さんは大学を卒業後に25歳で上京。若い頃は絵画に没頭し、父親を失う原因となった戦争について思いを巡らせる[…続きを読む]

2025年2月18日放送 10:25 - 13:55 TBS
ひるおびJNN NEWS
従軍カメラマンの柳田芙美緒氏は部隊の戦闘の合間の様子をありありと記録した。戦後に産まれた娘が自宅で残された写真に囲まれて暮らしている。 芙美緒は陸軍静岡連隊付きの写真師だった。出征する兵士を撮影していたが共に行動したいという気持ちが募り、命じられたわけではないのに自ら満州へ。戦闘を撮るのと同時に生死をともにする戦友の表情を同じ目の高さで捉えた。戦場の写真は空[…続きを読む]

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