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「日中戦争」 のテレビ露出情報

1920年、深川を舞台にしたサイレント映画が撮影された。てい子は家族を養うため、身を粉にして働く。終盤、てい子は実在の少女だったと明かされる。この深川の生まれだった小津安二郎は松竹キネマ蒲田撮影所に撮影部助手として入社。その翌月、関東大震災が発生した。当時13歳だった黒澤明は隅田川沿いに打ち寄せる市街の群れを見て、卒倒しそうになったという。震災から間もない頃に製作されたサイレント映画では東京の復興、スリで生計を立てる男児が真っ当に生きようとする様子が描かれている。小津安二郎はカレーをめぐって諍いを起こそうとし、当時の所長は「威勢がいい」と監督として撮影を任せることにしたという。1931年、「東京の合唱」が公開。世界恐慌で失職した岡島はカレーを出す洋食店を手伝うようになる。妻は大学を出たエリートの夫の姿をはじめは受け入れることができないが、ともに店を手伝う。小津は失われたものを取り戻そうとする人々の営みを描いた。
1925年、治安維持法が制定された年から映画は内務省の検閲を受けた。34年公開の映画では忠犬ハチ公像が鎮座しているが、本物のハチ公(当時10歳)も登場する。37年、日中戦争が勃発。同年9月、小津安二郎も召集された。戦時中に公開されたミュージカル映画では会社員の夫に賞与として国債が支払われたが、事実に即している。戦時国債は敗戦後、紙くず同然となる。また、法律によって国民は空襲時の避難が禁じられ、消火が義務付けられた。44年10月、忠犬ハチ公像は金属不足のため、政府に供出された。戦争に正面から異を唱える映画人はおらず、木下恵介は陸軍省の後援で「陸軍」を製作。だが、戦意高揚だけを目的とした映画に疑問を抱き、ラストシーンでは息子が出征するが、母は涙を流しながら後と追う。上映後、木下は当局から問題視された。
東京大空襲の3日後、渋谷で吉永小百合が誕生。45年の暮れ、渋谷を舞台にした映画が撮影された。疎開先から帰る子ども、それを迎える親の姿などが描かれた。また、戦意高揚の記憶を一掃するかのように甘いメロドラマが主流となっていく。キスシーンを一目見ようと、観客は映画館に殺到した。46年2月、小津安二郎が帰国。戦後第一作は長屋に暮らすおたねが親を亡くしたという子どもを引き取る物語。終盤、子どもの父親が見つかり、おたねのもとを去る。そして、おたねが上野公園へ別の子どもを見つけにいくことを暗示するシーンで幕を閉じる。実際の戦災孤児の姿が映っている。52年、サンフランシスコ平和条約が発効し、日本は独立を回復する。五所平之助の作品では火力発電所から立ち上る煙は汚染ではなく繁栄、経済成長の象徴となった。小津の代表作「東京物語」も舞台は東京の下町。田舎から平山夫妻が上京するが、娘の1人は美容院を経営していて、構っている余裕などない。小津は絆がほどけつつある家族の姿を淡々と映した。平山夫妻を東京の街へ連れ出したのは戦死した次男の妻・紀子で、原節子が好演。終盤、平山周吉の妻が死去し、葬儀に紀子が駆けつける。映画監督のヴィム・ヴェンダースは「東京物語」を激賞している。
63年、高度成長に沸く東京を舞台とした「いつでも夢を」が公開。ヒロインは17歳だった吉永小百合。58年に完成した東京タワーも登場する。小津の遺作は62年に公開された「秋刀魚の味」。2年後の東京五輪に向け、開発が進む東京の実景が挿入されたが、小津は「戦後の東京には俺の気に入った風景はもうなくなった」と述懐している。63年12月12日、60歳の誕生日を迎えた小津は死去した。小津を敬愛するヴィム・ヴェンダースは東京に関心を抱き、ドキュメンタリーを製作。だが、アメリカの模倣、欲望だらけの東京に冷ややかだった。バブル崩壊後、長い低迷期に突入する。また、ポケベル、携帯の普及をきっかけに人々は家族も知らない人間関係を持つようになった。庵野秀明は渋谷の街を彷徨いながら援助交際を繰り返す女子高生を描いた映画を製作。
ヴィム・ヴェンダースはコロナ禍の東京を訪れ、役所広司を主演に映画を撮影した。主人公の名前は平山で、小津の「東京物語」、「秋刀魚の味」の主人公と同じ名前である。街や公園が荒れ果てたヨーロッパの一方、東京は逆だったといい、ヴェンダースは「ここですべき、なにか大きなものがあると考えた」と話している。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年10月16日放送 9:00 - 11:54 NHK総合
国会中継(国会中継)
立憲民主・無所属 辻元清美氏は「簗議員の問題はこれで幕引きできると思うのか?」「今回の問題はなにが問題だったと思うのか」「なぜかばい続けたのか」「じゃがいも問題についてなどと質問。高市早苗氏は「辞任をしたがまだ納得できる説明責任を果たせていないと考えている。説明責任を引き続き果たしてもらえることを期待している」「十分な説明ができなかったことにあると考えた」「[…続きを読む]

2026年9月27日放送 0:10 - 1:00 NHK総合
ファミリーヒストリーファミリーヒストリー 石橋凌
大震災のあと、守造の家族は福岡県柳川市に移り住んだ。守造の息子久渡はここでどんな少年時代を過ごしたのか。久渡の長男で凌さんの兄征ニさんのお宅で貴重な資料が見つかった。関東大震災の後、守造たちは福井岡県柳川市に移り住む。久渡さんの妻が書いた手記が残っていた。久渡は伝習館に入学した。20歳の時に陸軍に入隊し、その後幹部候補生の試験に合格した。太平洋戦争で、戦略上[…続きを読む]

2026年8月31日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
1905年の日露戦争の勝利を祝う凱旋パレードの様子を伝えた。この戦争で東郷平八郎と乃木希典が活躍した。乃木希典の陸軍では貴族も平民も同様に扱われており、東郷平八郎の海軍では少数精鋭のエリート主義が敷かれて品格と教養が求められた。陸軍はソ連を、海軍はアメリカを仮想敵国として軍拡を進めた。しかし1922年にワシントン海軍軍縮条約が締結されて、海軍も陸軍も両方とも[…続きを読む]

2026年8月24日放送 15:50 - 19:00 日本テレビ
news every.いまを、戦前にさせない
戦前の新聞の片隅には当時の人々の生活や思いが表れているコーナーがあった。読書からの投書を紹介する投書欄。多くの新聞にこうしたコーナーがあり、実名だけでなくペンネームや匿名の投書もあった。言論統制が存在した時代の人々の本音が垣間見えるという。宮崎公立大学・金子龍司講師によるとネットやSNSがない時代、投書が自分の考えを発信する手段だった。日々感じる疑問や意見、[…続きを読む]

2026年8月15日放送 18:56 - 21:54 テレビ朝日
池上彰のニュースそうだったのか!!実は知らない日本SP
1941年12月8日の真珠湾攻撃について正しく伝わっていないことがある。じつは真珠湾攻撃が最初ではない。この日に他に攻撃した場所がある。真珠湾攻撃の2時間前に、マレーシアを攻撃。当時イギリス軍の拠点があった場所に日本が上陸させた。日本は石油が欲しかったから戦争を仕掛けた。アメリカの経済制裁で石油が不足していた。インドネシアを占領しようとマレー半島と真珠湾を攻[…続きを読む]

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