- 出演者
- 杉浦友紀 今田耕司 生瀬勝久
今回は、個性派俳優・生瀬勝久のルーツに迫る。
オープニング映像。
生瀬勝久は兵庫県西宮市で生まれた。生瀬勝久の両親にインタビュー。生瀬家の先祖のルーツを調査。生瀬勝久の高祖父は、酒だるを作る仕事をしていた。
生瀬勝久の曽祖父・孝三郎の孫にインタビュー。兵庫県立図書館で、大正13年の新聞総覧を紹介。帝京大学の松尾教授にインタビュー。
生瀬勝久の祖父の操は、大阪市立大阪工業学校を卒業後に紡績会社に就職して、中国・青島に赴任した。操の娘の湊展子さんや、長男の生瀬陽三さんにインタビュー。昭和12年に日中戦争が起きて、操は帰国した。操が書いた日記を紹介。操は体調悪化で国立療養所 春霞園に入院した。
生瀬勝久が、自分の父方の祖先のVTRを見た感想を語った。
生瀬勝久の母方の家系である名川家のルーツを調査。生瀬勝久の親族にインタビュー。名川家は、日本酒を作る水屋の仕事をしていた。辰馬本家酒造が名川家に貸していた井戸の契約書を紹介。生瀬勝久の祖父の卯之助は、剣道の達人だった。
生瀬勝久の母・悦子の、友人にインタビュー。悦子は市立西宮高等女学校で学び、小学校の教諭となった。悦子はコーラスグループで、後に結婚する陽三と出会った。昭和32年11月28日、生瀬陽三と悦子の結婚式が行われた日に、陽三の父親である操が亡くなった。
生瀬勝久は、昭和35年に生まれた。父の陽三はサラリーマン、母の悦子は小学校教師として働いた。生瀬勝久の兄の昌弘さんにインタビュー。悦子が教師をしていた、西宮市立浜脇小学校の教え子らにインタビュー。昌弘さんが、おふくろが教員をやっているので悪いことができなかったと語った。悦子は、西宮市議会議員選挙に出馬し、当選した。
生瀬勝久の高校時代の友人にインタビュー。生瀬勝久は同志社大学に入学し、喜劇研究会に入部した。生瀬勝久は大学2年生のときにバイクを運転中に事故にあって、1か月入院した。生瀬勝久は事故をきっかけに、演劇の道に進むことを決意した。
生瀬勝久が、自分の先祖のVTRを見た感想について語った。
生瀬勝久は俳優となり、サラリーマンNEOやコント×ドキュメンタリー 笑う会社革命などに出演している。生瀬勝久の母親の悦子さんは、平成11年に市議会議員を引退した。悦子さんが、生瀬勝久の新聞記事を集めたスクラップブックを紹介した。生瀬勝久の祖父・操が残した日記を紹介。
コント×ドキュメンタリー 笑う会社革命の番組宣伝。
