- 出演者
- 寺門亜衣子 今田耕司 渡辺いっけい
俳優・渡辺いっけい。いぶし銀の演技が魅力の名バイプレイヤー。今回はそのルーツに迫る。
オープニング映像。
渡辺いっけいの故郷は愛知県豊川市。昭和37年、長男として生まれる。本名は一惠(かずよし)。渡邉家は江戸時代初期からこの地で代々農業を営んできた。9代目にあたる祖父・半次は54歳で亡くなった。いっけいはそのメガネを形見として今も持っている。半次は明治36年誕生。幼い頃から頭が良く、高い学費の私立学校・寶山学院に14歳で入学。学院は明治時代に神職が開いた高いレベルの学校。卒業生は地元銀行の重役、医者、大学教授など。半次も優秀な成績を収め、学問で身を立てることを目標にする。
渡辺いっけいの祖父・半次は明治36年生まれ。学問で身を立てることを目指すも、議員も務めた厳格な性格の父から「土地と家を守っていく義務がある」と厳しく言われる。半次は言いつけを破って東京の親戚のもとに身を寄せるも、すぐに連れ戻される。その後もくり返し家を出るが、失意の中で家を継ぐことになった。当時は村歌舞伎の舞台にも立っていて、当時使っていた機材は今も残っている。
渡辺いっけいの祖父・半次は明治36年生まれ。当時は村歌舞伎の舞台にも立っていて、その舞台を見に来ていたのがのちに妻となる志ず。昭和5年に結婚、2年後に長男・一弘(いっけいの父)が生まれる。真面目で運動神経がよく、中学時代は野球のエースだった。高校卒業後は家を継ぎ、国鉄に就職し地元の駅で勤務。兼業農家として先祖代々の土地と家を守った。26歳で後の妻・しま子と出会う。
渡辺いっけいの母・(伊藤)しま子は5人きょうだい。みな亡くなり、実家を継いでいる人は誰もいない。かつての伊藤家は新城市の人里離れた山奥にあり、電気がなく学校までは山を越えて通っていた。家はすでに倒壊していて、壊れたかまどや五右衛門風呂など生活の跡が残されている。
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渡辺いっけいの母方の先祖・伊藤家。父・常三郎は芸達者で、よくどじょうすくいの踊りを披露していた。芸事を教わったのは「とうすけ」という旅芸人。「とうすけ漫才」という興行をやっていたという。手がかりになるのはこの地方に伝わる「三河万歳」。新年に祝いの言葉を述べる伝統芸能で今の漫才のルーツとされる。「とうすけ」とは小野田藤助。田嶺地区で村の仲間と漫才一座を旗揚げし全国各地を旅巡業した。
渡辺いっけいの母方の先祖・伊藤家。父・常三郎は芸達者で、芸事を教わったのは小野田藤助という旅芸人。2人は血縁関係にある。いっけいの母・しま子も幼い頃から歌や踊りが大好きで、地元の保育園で働き人気となる。19歳で結婚。
渡辺いっけいの父・一弘は渡邉家の10代目。93歳の今も趣味の初動を楽しんでいる。妻・しま子と連れ添って65年。2人が出会ったのは昭和34年。お見合いで知り合い、互いに好意を持つ。一弘は野球チームの元エースで、しま子はたくましい体格と寡黙で真面目な人柄に惹かれたという。しま子の父は病弱で幼い頃に亡くなっていて、健康な人を求めていた。しま子の家族が「もうちょっと財産がある家のほうが」と反対し一時は破談になるも、偶然再会したことを契機に結婚。
渡辺いっけいは昭和37年生まれ。のびのびと活発な子どもに育ち、モノマネなどの芸でクラスの人気者だった。高校時代、俳優を目指すようになる。両親からも夢を応援され大阪芸術大学に進学、劇団で活動を始める。母も家計を助けるため働き、手紙や仕送りで支えた。22歳で上京した際には、かつて東京で学者になる目標を立てるも親の反対で諦めた祖父・半次の形見のメガネを贈られる。
渡辺いっけいは昭和37年生まれ。22歳で上京し、舞台俳優として仕事に明け暮れるも収入が少なく苦しい生活が続いた。母はその身を案じ、大粒の涙を流していたという。いっけいは「家族のためにも」ともがき続け、30歳目前で連続テレビ小説「ひらり」への出演が決まる。これを機にテレビや映画で活躍し、家族も喜んだという。普段は寡黙な父は当時、手紙に「息子は順調」「皆様に応援していただいたおかげ」と綴っている。
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- 内館牧子東京都連続テレビ小説 ひらり
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