淡谷のり子は1930年にデビューし流行歌手となった。「雨のブルース」は100万枚を超える大ヒットとなった。戦時中は、全国の基地で慰問活動を行っていた。淡谷のり子が慰問活動に行った時、平均年齢16歳の特攻兵たちがいたという。歌ってる間に突撃命令が出て、特攻兵たちは飛び立っていったという。淡谷のり子は「私の方を見てニコニコ笑って敬礼するんです。もう泣けて歌えなかった」などと話した。「世界の国からこんにちは」で知られる三波春夫は20歳のときに軍に招集され、最前線で戦っていた。三波春夫は「終戦近くの8月14日、何の音も聞こえない戦場。ソ連兵が来たので、手榴弾を投げた。最後までソ連兵は母親の名前を呼び続けていた。顔も名前も知らない人たちと戦うんだから、戦争なんて実に愚かなものだと思った」などと話した。