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「日本人ペルー移住史料館」 のテレビ露出情報

投稿をくださった塩崎芙美恵さんと父の石田昭人さんが登場。石田昭人さんは97歳で移民の息子としてペルーで生まれたという。幼いときに戻ってきてそれからずっとペルーに行ってないが生まれたところがもし分かればどんなものか見せてあげたいとのこと。石田家からペルーに渡ったのは芙美恵さんの曽祖父である末一とその妻・シュンであった。いつどんな事情でペルーに行ったのか。海外の移民の「記録が残る外務省の外交史料館に訪れた。明治36年にペルーへ渡った移民の契約書の中には石田末一・シュンの名前があり、宮内村から2人でペルーに渡っていた。宮内村は現在の廿日市市宮内で明治以降この周辺の沿岸地域から多くの人が海外へ移住した。その理由は人口の増え方や信仰にも関係があった。人口が増える一方、沿岸部では耕せる土地が狭かったため海外に出る人が多かったという。ペルーでの末市夫妻の足取りを現地で調べることにした。日本人ペルー移住史料館を訪ねたところ、そこにあったのは石田末一・シュンのパスポートがあった。当時の外務大臣・小村壽太郎が発行し、2人の自筆のサインもあった。記録によればペルー到着後の末一たちはサトウキビ農家に雇われ働いていた。その後の足取りを調査したところ、イカ州のチンチャにいることがわかった。
取材を進めると末一の子孫が見つかった。イサベルさんとフリアさんであり芙美恵さんと同じ末一のひ孫にあたる。大正9年の末一と家族の写真を見せてくれた。その中には昭人さんの父である紋次郎もいた。そして末一たちはやがて家族で理容店を営むようになった。そんな中、昭和2年に生まれたのが昭人さんである。8歳のとき父の病気の治療のため広島に戻り、それ以来ペルーに帰ったことはない。昭人さんに住んでいた場所の地図を書いてもらいそこへ向かう。チンジャの町の中心に向かうと地図にあった教会と公園があった。そして住民の男性にかつて石田家があった場所へ案内してもらった。18年前のペルー地震でレンガ造りだった家が全壊してしまい更地になっていた。ペルーで暮らす親戚たちはこれまで日本に親戚がいることを知らなかった。

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