仲間由紀恵は石川県輪島市で「なにもない風景 地元のみなさんが寂しがる気持ちがよく分かる」と話す。2024年1月1日、石川県は最大震度7の能登半島地震に見舞われた。死者600人以上、住宅被害は約15万棟を超える大災害。輪島 朝市通りは火災により一夜で約240棟が焼失した。震災以来、仲間由紀恵は能登を訪れ地元の方と交流を重ねてきた。震災から約1年8ヶ月、その爪痕は今も残ったまま。仮説住宅で暮らす人は約2万人にのぼる。様々な理由で能登を離れる人も多くいた。仲間由紀恵は、東京都青梅市の日本航空高等学校石川 東京青梅キャンパスを尋ねた。日本航空高等学校石川の書道部が青春をかけて取り組んでいるのが、書道パフォーマンス。地元・能登のイベントでもパフォーマンスを披露していたが、震災によってその機会はほぼなくなってしまった。書道部部長の藤田爽叶さんは、もともとは輪島市にある学校で暮らしていたが、震災があって青梅に移動してきたという。石川県輪島市にあった航空高校石川は震災の影響でガス、水道管の破裂や校舎のひび割れなどから生徒は避難を余儀なくされた。そこで青梅 大学のキャンパスを明星大学が無償対応し、友人や学校と寮生活をしている。今年6月に一部の部活動は能登空港キャンパスに戻ったが、約300人の生徒は未だに帰れていない。8月7日、書道部の生徒たちと仲間由紀恵が能登のキャンパスへ。震災以来初めて入る書道部の部室。部長の藤田爽叶さんは、全部が懐かしくてその時の記憶が蘇ってきてここで生活したいと話していた。部室のロッカーで、元顧問の池崎三枝子先生に直してもらった書などを発見。書道パフォーマンスに想いを乗せる大切さを教えてくれた恩師。震災が彼女たちと池崎先生を引き離した。石川県の自宅が一部損壊し生徒と青梅のキャンパスに行けず、創部から18年、書道部の顧問を離れる決断をした。突然の別れから約1年8か月、石川と東京で離れて暮らす日々が続いている。そんな池崎先生から届いたメッセージを仲間由紀恵が読み上げた。今年の24時かんテレビでパフォーマンスをしてくれる。3年生の小林姫歌さんは「高校から親元を離れて遠くで見てくれているお母さんたちに他おどけたい」と話していた。輪島市の能登空港内には書道部の作品が飾られている。そこには、鳳凰再起というメッセージが。
住所: 東京都青梅市長淵2-590