1985年8月におきた日航ジャンボ機墜落事故から40年、事故機は群馬県上野村の山中に墜落し520人が犠牲に。事故で母親を亡くし、先が見えない中で子どもの名前に希望を託した女性が。森下さんの母親は親の看病のために神戸市に向かう途中に事故に遭った。当時森下さんは大学4年生で、大手商社への就職が内定していた。就職後も現実を受け入れられず母親に語りかけう日々を過ごした。事故の3年後に励まし続けてくれた知人と結婚。そして26歳の時に待望の長女を授かった。名前は暁里で、生まれる前から決めていた。母の美代子さんをのせた飛行機が飛び立った夕方ではなく、希望にみちた朝の暁という文字と、登山で訪れた上野村に抱いたふるさとという気持ちに里をとった。暁里さんの存在が笑うことを思い出させてくれたという。一方で名前の由来が本人にとって重荷になっていないかと不安に感じていたというが、それは聞けないままでいたという。事故から40年目の今年に、森下さんは夫と暁里さんや家族らと墜落現場を目指した。母親の墓石を訪れたが、暁里さんは自分なりにその名前を受け止めていた。また暁里さんの長男の湧久くんの名前も8月の登山の風景に由来しているという。