松岡さんは「僕も東日本大震災があった13年前、直後に取材に行った。『コバルトーレ女川』は女子サッカーチームですが、このチームに女川出身者は1人もいない。しかもほとんどが宮城県外から来ている人だけどみんな地元に戻らない。戻ったほうが良いのに。そしたら涙ながらに『修造さん違う。僕は女川の人たちが大好きなんです。女川の皆さんを支えたいんです』という言葉があった。その後、女川にそのまま残って学校の教師をしている人とか、子どもたちにサッカーを教えながら支援活動をしている人も居て、前に進んでいるなと感じた。そして『日本製鐵釜石シーウェイブス』。釜石といえばラグビーのまちですが、地震があってチームの皆さんはラグビーができなかった。だからボランティアとして救援活動をした。そのときに町の人達に『何してるの?ラグビーをしろ。君たちはラグビーで勝つことが支援活動なんだ』と言われたそうなんです。そんな中で3カ月後に試合が再開され、大きな勇気を与えた。まさに復興のシンボルと言われたチーム。いまは能登半島地震の支援という部分で物資の販売などをして前に進んでいるということです。今回会いに行ったのは高校生の時。僕はある意味彼らに助けられた。僕も何かできないかと思っていたところで、『テニスを指導してくれないか』と言われた」などと話す。