有楽町駅前で聞き込み。写真に虫という字がある。交通会館マルシェで話を聞いたら、「銀座の路地にこういうところがある」などと話した。昔からのお店があるという東京交通会館の地下へ向かう。純喫茶ローヤルは、東京オリンピックの翌年に出来たという。マネージャーは、昭和39年は18歳で東京にでてきた頃だという。いろんなものを屋台で売っていたという。当時のことを知っている人を探しに老舗を求めて銀座へ向かう。「壹番館洋服店」は、銀座では歴史のある店。手縫いのテーラー。1930年開業。歴代総理は大体作っているという。3代目店主はずっと銀座にいるということで話を聞くと、東京五輪の前後で銀座はガラッと変わったという。オリンピックまではだいたい2階建てか3階建てで住居兼お店が多かった。それが通ってきてビジネスをする街になったという。銀座通り始め主要な通りは全部銀行でバブル崩壊の直前までは金融の街だったという。銀行の統廃合で土地が空き、入ってくれたのが海外のビッグブランド。8時までやってるし土日もやっており街の雰囲気が変わっったという。テーラーの店主が注目したのが「かなめ屋」という看板。8丁目にあるべっ甲のスペシャリストだという。8丁目に向かい、渡邊木版美術画舗で話を聞いた。創業は1909年だが、100年前に現在の場所に移ってきたという。浮世絵や現代の版画も扱っている。写真を見てもらったら、子供の頃は虫は売っていたという。そういう風習が江戸時代から日本にも多くあったという。「東都名所 道灌山虫聞之図」という浮世絵には、虫かごをもつ少女が描かれている。店の前の路地は出世街道と呼ばれ、国会議事堂までつながっているという。かなめ屋さんの順路を聞いて、細い路地を抜けて目指す。「銀座 かなめ屋」の創業は昭和9年。和装に携わる専門店が日本中から消えてしまって、日本全国からお客さんが来るという。江戸べっ甲を取り扱っている。写真を見てもらい、店主は父から「昔虫を売りにきていた人がいた」と聞いたという。福助食堂はないが福助ビルがある。街は様変わりしていたが、当時から続く店がまだあり、昔の面影が残っていた。
住所: 東京都千代田区日比谷公園1