昭和40年、食品業界に熾烈なインスタントラーメン戦争が起こっていた。塩、醤油、カレー味、360社がしのぎを削った。日清食品は強い危機感を抱いていた。日清食品は7年前にインスタントラーメンを商品化し業界の草分けになった。しかし後発メーカーに押され業績は悪化。給料は4割カットされ製造ラインは度々止まった。新入社員の松本邦夫はやることがなく草むしりをしていた。社長の安藤百福は一発当てて会社を立て直そうと焦っていた。さらに状況が悪化、消費量が頭打ちになり、倒産する会社がでてきた。1袋35円の商品が10円台にまで値崩れした。安藤はアメリカに飛びスーパーのオーナーを集めラーメンを売り込んだ。しかしアメリカにはどんぶりがなかった。松本邦夫は同じ職場のトシ子と結婚を決めた。昭和45年7月、松本ら7人は社長に呼び出された。安藤百福は容器に入ったモノはできないか?と訪ねた。松本はこれが当たれば給料が上がると思った。松本は麺の開発担当になり、カップは300cc、麺は3分で食べられることという条件が出た。松本はカップの型に合わせた金型を作り麺を入れ揚げた。麺を取り出すと中は生だった。油の温度を揚げたら今度は外側が焦げてしまった。一杯のラーメンをめぐる手探りの戦いが始まった。
