新たな街作りが進む浪江。駅を中心に商業施設や交流施設を整備し賑わいを再生させようとしている。更に浪江町を含む沿岸部では最新技術を使って新たな産業基盤作りを目指す国家プロジェクトが進められている。実は原田さんには自らが思い描いた復興の姿があった。原発事故の半年後には原田さんら商店街の人たちが中心となって避難先の二本松で名物行事・十日市を開催。街作りについても住民の先頭に立つようになった。帰還の目処が示されない中、それぞれの場所で避難生活を続けていた人たち。原田さんは浪江の人たちが暮らせる地区が作れればいつの日か一緒に故郷に帰れるのではないかと考えた。一方で世帯ごとに賠償金が支払われたこともあり、住民それぞれの生活再建が進んだ。原田さんの願った計画は実現することはなかった。早稲田大学・佐藤名誉教授は「仮の町をつくってそこにみんなでまとまって住もうって非常に盛り上がった時期がある。ただ、現実に動き出したら多分なかなか難しかったと思う。個人の生活再建を急がなくちゃならない。だからそれを待てる人と待てない人が出てくる。新しい生活の基盤をそれぞれの人が作っていくという段階に移っていった」と話した。
