- 出演者
- 福澤朗 今田耕司 菅井友香 友田オレ
オープニング映像が流れた。
本日のゲストは独特な歌ネタで今年3月の「R-1グランプリ」を制し、芸歴3年目・23歳の若さで日本一のピン芸人となった友田オレさん。2001年福岡市生まれ。小学生の頃からお笑いが大好きで、友達を笑わせたい一心で給食のおかわりを隣のクラスに貰いに行くなどしていた。大学は多くの人気芸人を輩出している名門お笑いサークルに入りたいという志望動機で早稲田大学を受験。見事合格し、憧れのサークル「お笑い工房LUDO」に入った。人生の転機となったのは大学3年のとき。麻丘めぐみさんの大ヒット曲「ワタシの彼は左きき」の替え歌ネタをYouTubeにアップしたところ、10万再生突破の大バズリ。現在の所属事務所からダイレクトメールでスカウトされた。しかし実は当時「お笑いは趣味で芸人になるなんてとんでもない」と考えており、芸能事務所に籍を置きながらアナウンサーを目指していたが、同時期に出場した「ABCお笑いグランプリ2023」で決勝に残ったのをきっかけにプロとしてやっていくことを決意した。得意の歌ネタは一度聞けばクセになること間違いなし。R-1グランプリ現役王者、いま一番面白い男がやってくる。
ゲスト・友田オレさんの依頼物は「楠木正成の書」。親戚総出で探してきたという。本人評価額は50万円だったが、結果は500円だった。愛知東邦大学・増田氏は「印刷です。書自体が楠木正成の書体ではない。原本は『大楠公壁書』という自分に対しての戒めの言葉を書いたと言われているものだが、もともと存在しない」と話した。
千葉県市川市から。下総国中山にある「中山法華経寺」に伺った。次なる依頼人は執事の田中見定さん(69)。境内には重要文化財の建物が4つもあり、荘厳な雰囲気が漂っている。法華経は日蓮大聖人が1260年に初めて開いた寺。法華堂は日蓮聖人が千葉県の人らに初めてお説教した日蓮宗最古の寺。日蓮は当時幕府が信仰していた禅宗に否定的だったため鎌倉を追放され、この地で日蓮宗を発展させた。寺には日蓮がときの最高権力者・北条時頼に提出した「立正安国論」や、根本聖典とされる「観心本尊抄」など直筆の遺品が残されており、現在国宝に指定されている。その他、日蓮の42の遺文と弟子が寺について書いた800以上の文書も重要文化財に指定されている。そんな由緒あるお寺で年に2回開かれているのが「なかやま特別骨董市」。20年前、田中さんの発案で始めいまやその規模は千葉県最大級だそう。4日間で1万人以上が訪れる。お宝は檀家さんのお葬式に行った際にお礼に頂いた「凄いもの」だという。「国宝級の大名品かもしれない」と箱から出すのも恐れ多くしまい込んでいたが、日の目を見せてあげたいとの思いで鑑定に出すことに。お宝は「土佐光起の屏風」。檀家さんは明治時代に三井財閥から譲り受けたものだという。土佐光起は
お宝は「土佐光起の屏風」。檀家さんは明治時代に三井財閥から譲り受けたものだという。土佐光起は江戸時代初期に活躍した絵師で土佐派中興のの祖。「土佐派」とは平安時代に始まった日本画の伝統様式「やまと絵」を継承する流派で、物語絵や寺社の縁起絵巻を柔らかい筆致で生き生きと描き隆盛を誇った。南北朝時代には「絵所預」=宮廷における絵画工房の責任者に任ぜられ、以後200年にわたってその職を世襲し大いに権勢を振るった。しかしやがて新たな流派・狩野派が対抗。漢画の画報を取り入れた勇壮な画面構成が武士に好まれ、土佐派を凌駕していく。さらに1569年、織田信長に仕えた土佐派の嫡男・土佐光元が但馬攻めに加わり戦死したことで絵所預の地位まで失ってしまう。後継の土佐光吉は堺に下り、細々と画業を続けたが狩野派の下請けに甘んじる他生きるすべがなく、かつてない屈辱を味わった。この光吉の孫が土佐光起で、彼にとって土佐派の再興は悲願だった。18歳のとき、父とともに京にのぼり絵所預復職の嘆願をするも却下される。しかし光起は決して諦めることなくひたすら腕を磨き、20年後についに絵所預の奪回を成し遂げる。「鷹飼図」は鷹の飼育の様子を描いたもの。華麗な色彩と繊細な筆致は土佐派の正当そのもの。一方で時代の求めに応じるべく漢画や狩野派、琳派の画法も果敢に取り入れ幅広い画題に挑戦。伝統に創意を加え新たな土佐派の様式を生み出した。光起は死の前年、「本朝画法大伝」を書き記している。これは土佐派の技法・筆・顔料について事細かに解説した指南書だが、従来一派の画法は門外不出。全て口伝されるのみだったため、極めて異例のことだった。光起は土佐派の存続を心から願ったと思われる。改めて依頼品を確認。土佐光起の屏風は大和絵の代表的な画題である宮中の様子が柔らかな筆致と鮮やかな色彩で描かれている。落款に「将監」とあるがこれは当時の役職で、光起が将監に就き絵所預に復帰した38歳以降の作と思われる。鑑定やいかに。
依頼品は「土佐光起の屏風」。本人評価額は200万円だったが、結果は1万円だった。安河内さんは「全く違います。まず顔が違う。光起が描く宮廷人物画はお人形のように品が良い。依頼品は質のよくない日本絵の具を使っているので、重くて沈んだ色合いになっている。光起は宮廷絵師のトップですから、顔料ももちろん最高のものを使い奥行きのあるキレイな鮮やかさ。本物であれば2,000万円」と話した。依頼人・田中さんは「15日~骨董市がありますのでぜひ皆さんにオープンでお見せします」と言った。
今回、茨城・取手市で出張鑑定。アートな街づくりに注力している取手市は、団地の巨大ウォールアートをはじめ、18の壁画が点在している。東京藝術大学のキャンパスもあり、卒業生の作品の鑑賞もできる。名物グルメは、バナナの果肉を与えて飼育したブランド豚「バナナポーク」。
取手市在住の演歌歌手のさくらまやさんが、「謎の置物」を持ってきた。10年前、東京・上野の蚤の市で一万円で購入したという。本人評価額は10万円、鑑定額も10万円。インドネシア・ジャワ島の祭器ではないかとみられている。
取手市在住の松丸美恵子さんが茨城名物の「かき餅」を持ち込んできた。農産物直売所 夢とりでで販売しているという。松丸さんが持ってきたのは、今は亡き義父から受け継いだ茶碗2点。本人評価額は51万円。
斉藤さんの谷文晁の掛軸を家宝として床の間に飾っているが、売りたいという。本人の評価額は500万円。結果は2万円。谷文晁の作品ではないという。
渡邉さんのお宝は濱田庄司の皿。知り合いが借金のかたに持ってきたものだという。本人の評価額は30万円。結果は50万円。晩年の作品で益子の土を焼いたものなどと専門家は評価した。
坂本さんのお宝は東海道五十三次漫画絵巻。18人の漫画家たちが旅して書いた55枚ある作品。妻の祖父から受け継いだものだという。本人評価額は20万円。結果は35万円。当時の著名な漫画家が書いたものだと評価をした。
フリーランスで広告業をしている花見さんは休暇のたびに日本百名山巡りをしている。現在81座を踏破。お宝は海軍の軍人だった祖父から伝わるもの。祖父・花見弘平さんは第二次世界大戦中駆逐艦「天霧」の艦長を務め、激戦地ソロモン諸島の作戦に従事した。花見さんの依頼品は「ジョン・F・ケネディの手紙と写真」。1961年1月20日、当時43歳アメリカ合衆国史上最も若くして選挙で大統領に選ばれた男。1917年カトリック系アイルランド移民の家庭に生まれ、父は銀行・映画会社・酒輸入などで成功した実業家で4人の息子たちを政治家にするのが夢だった。次男のジョンは病弱で背骨に重度の障害があったため、常に激しい痛みにさえなまれ、勉強に身が入らず成績は並以下。ハーバード大学に入学できたのは父の根回しのおかげとも言われるが、愛嬌あふれる顔立ちとユーモアたっぷりの話しぶりから、クラスの人気者ではあった。卒業後、戦争へと傾く世界情勢に一念発起し兵役志願。一度は背骨の障害を理由に不合格となったが、ここでも父の口添えに助けられ、海軍に入隊した。1943年8月2日、魚雷艇PT109の艦長として太平洋戦争の激戦地ソロモン諸島へ向かったときのこと。闇夜に乗じた補給作戦に従事していた日本海軍の駆逐艦「天霧」に遭遇。この艦長こそ依頼人の祖父・花見弘平。PT109に魚雷を発射されたら一巻の終わりと判断した花見は瞬時に全速力で突進した。意表を突かれたケネディは必死にかわそうとするが、衝突。天霧は全長118m、一方PT109は全長24m。PT109は真っ二つに砕け炎上した。海に投げ出されたケネディは即死2名を除く船員10名を導き、陸を求め泳ぎだしたが、内1名は火傷で全く身動きできない状態で、ケネディは彼に命綱を巻きつけ、口にくわえて泳いだ。15時間後、無人島に漂着。周辺の地元民に発見され救助されたのは衝突から6日後のことだった。この一件は仲間を救った奇跡の生還として新聞に報じられ、ケネディはアメリカ中に知られるヒーローとなった。この知名度をいかし、政治家の道を歩み、1960年大統領選に出馬。前期副大統領のニクソンをやぶり勝利した。大統領就任後は平和部隊、宇宙開発、黒人の地位向上など新たな政策を次々と掲げ、ソ連との核戦争に発展仕掛けたキューバ危機を回避。また日米貿易経済合同委員会を新設するなど日本との関係改善にも務めた。しかし就任から2年後、ダラスでのパレードの最中、凶弾に倒れた。犯人とされるオズワルドは2日後、護送中に射殺されたため、ケネディ暗殺の真相は未だ謎のまま。依頼品の花見弘平にあてたケネディの手紙とサイン入り写真の日付は1953年2月18日。ケネディが上院議員になってすぐのもの。ケネディは1951年下院議員時代に来日し、交流のあった政治学者に自分の魚雷艇を撃沈した駆逐艦の艦長を探してほしいと依頼。戦後、故郷福島で畑仕事をして暮らしていた花見はその知らせを受け、翌年ケネディが上院議員選挙に立候補したことを知るや自らと天霧の写真を添え、激励の手紙を送った。その内容は撃沈からの生還を知った驚きと喜びにはじまり、今後の日米関係について。ケネディは堂々たる手紙に感服し、新聞に公表すると、かつての敵対関係を超えた美しい友情と称えられ、選挙選での大きな後押しとなり、上院議員当選を果たした。依頼品は翌年、ケネディから花見に送られた礼状。さらに自らの写真には自筆で「昨日の敵は今日の友」とある。2人の交流はその後も続き、1960年ケネディは大統領選への出馬に際し、花見に応援を依頼。花見は快く応じ、「天霧」乗員による寄せ書きを贈ると、当然新聞もこれを取り上げ、大統領選小瑠璃の大きなはずみとなった。
お宝鑑定の依頼を募集している。宛先は「106-8007 テレビ東京 開運!なんでも鑑定団係」へ。住所や氏名などとともに、お宝の写真・エピソードを添えて応募。詳しくは「テレビ東京 鑑定団」で検索。
ジョン・F・ケネディの手紙と写真の鑑定。本人評価額は100万円で、鑑定額は2000万円だった。八木さんは「ケネディが社交辞令ではなく、内容のある手紙を出したことはすごい。特に上院議員当選、大統領選に勝利した一因であったことは大きなことがある。この件がなければ歴史は変わっていたかもしれません。昨日の敵は今日の友、この格言の最高の事例では」などと話した。
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- ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ
