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「リチャード・ニクソン」 のテレビ露出情報

フリーランスで広告業をしている花見さんは休暇のたびに日本百名山巡りをしている。現在81座を踏破。お宝は海軍の軍人だった祖父から伝わるもの。祖父・花見弘平さんは第二次世界大戦中駆逐艦「天霧」の艦長を務め、激戦地ソロモン諸島の作戦に従事した。花見さんの依頼品は「ジョン・F・ケネディの手紙と写真」。1961年1月20日、当時43歳アメリカ合衆国史上最も若くして選挙で大統領に選ばれた男。1917年カトリック系アイルランド移民の家庭に生まれ、父は銀行・映画会社・酒輸入などで成功した実業家で4人の息子たちを政治家にするのが夢だった。次男のジョンは病弱で背骨に重度の障害があったため、常に激しい痛みにさえなまれ、勉強に身が入らず成績は並以下。ハーバード大学に入学できたのは父の根回しのおかげとも言われるが、愛嬌あふれる顔立ちとユーモアたっぷりの話しぶりから、クラスの人気者ではあった。卒業後、戦争へと傾く世界情勢に一念発起し兵役志願。一度は背骨の障害を理由に不合格となったが、ここでも父の口添えに助けられ、海軍に入隊した。1943年8月2日、魚雷艇PT109の艦長として太平洋戦争の激戦地ソロモン諸島へ向かったときのこと。闇夜に乗じた補給作戦に従事していた日本海軍の駆逐艦「天霧」に遭遇。この艦長こそ依頼人の祖父・花見弘平。PT109に魚雷を発射されたら一巻の終わりと判断した花見は瞬時に全速力で突進した。意表を突かれたケネディは必死にかわそうとするが、衝突。天霧は全長118m、一方PT109は全長24m。PT109は真っ二つに砕け炎上した。海に投げ出されたケネディは即死2名を除く船員10名を導き、陸を求め泳ぎだしたが、内1名は火傷で全く身動きできない状態で、ケネディは彼に命綱を巻きつけ、口にくわえて泳いだ。15時間後、無人島に漂着。周辺の地元民に発見され救助されたのは衝突から6日後のことだった。この一件は仲間を救った奇跡の生還として新聞に報じられ、ケネディはアメリカ中に知られるヒーローとなった。この知名度をいかし、政治家の道を歩み、1960年大統領選に出馬。前期副大統領のニクソンをやぶり勝利した。大統領就任後は平和部隊、宇宙開発、黒人の地位向上など新たな政策を次々と掲げ、ソ連との核戦争に発展仕掛けたキューバ危機を回避。また日米貿易経済合同委員会を新設するなど日本との関係改善にも務めた。しかし就任から2年後、ダラスでのパレードの最中、凶弾に倒れた。犯人とされるオズワルドは2日後、護送中に射殺されたため、ケネディ暗殺の真相は未だ謎のまま。依頼品の花見弘平にあてたケネディの手紙とサイン入り写真の日付は1953年2月18日。ケネディが上院議員になってすぐのもの。ケネディは1951年下院議員時代に来日し、交流のあった政治学者に自分の魚雷艇を撃沈した駆逐艦の艦長を探してほしいと依頼。戦後、故郷福島で畑仕事をして暮らしていた花見はその知らせを受け、翌年ケネディが上院議員選挙に立候補したことを知るや自らと天霧の写真を添え、激励の手紙を送った。その内容は撃沈からの生還を知った驚きと喜びにはじまり、今後の日米関係について。ケネディは堂々たる手紙に感服し、新聞に公表すると、かつての敵対関係を超えた美しい友情と称えられ、選挙選での大きな後押しとなり、上院議員当選を果たした。依頼品は翌年、ケネディから花見に送られた礼状。さらに自らの写真には自筆で「昨日の敵は今日の友」とある。2人の交流はその後も続き、1960年ケネディは大統領選への出馬に際し、花見に応援を依頼。花見は快く応じ、「天霧」乗員による寄せ書きを贈ると、当然新聞もこれを取り上げ、大統領選小瑠璃の大きなはずみとなった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年2月7日放送 11:30 - 13:30 テレビ朝日
ワイド!スクランブル サタデー(ニュース)
人類初の月面着陸から半世紀以上、アメリカは人類が再び月に降り立つ計画を進めている。ロシアと中国も月面着陸を計画していて、月を舞台とした主導権争いが激しさを増している。1969年7月20日、「アポロ11号」が人類初の月面着陸に成功した。人間が月を歩き、ニクソン大統領(当時)が電話でメッセージを送る。歴史的な一日となった。あれから半世紀以上、アメリカのNASAは[…続きを読む]

2026年2月5日放送 15:00 - 15:07 NHK総合
ニュース・気象情報(ニュース)
ワシントン・ポストは、経営基盤強化のため従業員の3分の1が解雇されスポーツ部門や一部の海外支局が廃止されたと明らかにした。ニューヨーク・タイムズなどによると、解雇された従業員にはニュース部門の記者ら800人のうち300人以上が含まれるという。ワシントン・ポストはニクソン大統領の辞任につながったウォーターゲート事件の調査報道などで知られ、2013年に「アマゾン[…続きを読む]

2026年1月28日放送 17:00 - 18:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン(ニュース)
中国は世界的にパンダ外交を広げていたことがわかる。米中めぐるパンダ外交は中国は1950年代にパンダを送っているがワシントンのパンダは50年以上にわたって米中関係の友好の象徴になっていた。しかし米中関係が悪化する中で各地で貸し出し期限を迎えたパンダが相次いで返還。2023年のパンダが3頭中国に返還され首都からいなくなった。その後米中関係は回復ムードになるとワシ[…続きを読む]

2026年1月25日放送 20:54 - 23:09 フジテレビ
Mr.サンデーサンデーDOCS
当時中国との間にパイプがあった日本社会党の幹部に、上野動物園第4代園長の浅野三義さんが「コウノトリを譲ってほしい」と送った手紙の返事を直接聞いてもらえることに。待つこと2年、北京動物園から届いた手紙には「交換を進めることができる」と書かれており、コウノトリのつがいが上野動物園にやってきた。北京動物園との動物交換のルートがついに開通し、浅野園長は次なる目標につ[…続きを読む]

2026年1月25日放送 0:10 - 1:10 NHK総合
ザ・プロファイラー(パンダと日本人の50年史 パンダをめぐる冒険)
1960年代、多くの日本人にとってジャイアントパンダは未知の動物だった。山奥に生息するため世界に知られたのも約150年前。1869年に中国を訪れたフランス人宣教師がパンダを知った。毛皮と骨を送ると剥製が作られ、不思議な姿が話題になった。1937年にアメリカで生きたパンダが公開されると大人気に。黒柳徹子は、アメリカにいた報道カメラマンの伯父にパンダの人形を買っ[…続きを読む]

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