早稲田大学大学院文学研究科の溝川は研究者を介して文章を入手し、日本でも多くの人に知ってもらうために日本語に翻訳し、2カ月で完成させた。文章を書いた女性の居場所を知っていたムハンマド・マンスールがイスラエル軍の攻撃により亡くなってしまい、居場所を知る術を失った溝川は一度は出版を諦めたものの、その後も連絡する手段を探し続け3か月後に女性と連絡できるようになると、女性の文章は日本語で世界に先駆けて出版されることとなった。本を書き終えた翌年に女性は母になり、家族の歩みを新た日本にすることを目標にしているなどと伝えた。
