金原は今日の総括に、今回のディレクターは宮崎県出身。彼の祖父母は、旭化成のベンベルグ工場で出会っていた。しかもその事実を、取材のついでに寄った実家で聞かされたのだという。六歳の時に病院の窓から見えた旭化成の従業員に希望を抱き、とうとう社長に上り詰めた工藤さんもまた、旭化成に人生を運命づけられた一人だ。厳然と旭化成らしさを追求し続けるそのストイックな目線に外の世界に焦がれる少年の、切実な瞳を見た気がした。従業員の多さ、領域の広さもあるだろうし、消費者に近いものを作っていることもあるのかもしれない。でも何よりも「はみだせ」と推奨する旭化成だからこそ、物づくりの枠を超え、あらゆる人々の人生に爪痕を残す会社であり続けているのかもしれない。旭化成がなかったら僕いませんでした、と笑うディレクターの言葉に。思いがけず打ちひしがれた。とした。
