なべやかんの実家を見せてもらった。父・なべおさみが34年前の明大事件について語ってくれた。全ての仕事を6年やらず、所持していた絵を売って生活していたという。今年86歳になるが現役の映画俳優。なべやかんのコレクションを見せてもうらと、原田龍二が着用していた特撮のぬいぐるみなどがあった。台本がたくさんあり、昭和37年に公開された映画「キングコング対ゴジラ」の続編を作ろうという企画書は貴重だという。古本屋を回ったり、オークションで手に入れている。現存する最古の撮影後のゴジラの頭もあった。コレクションには1億円ぐらい使っている。テレビで見かけなくてもラジオや営業で稼いでいるという。ゴジラが盗まれた時の捜索ポスターもあった。なべやかんがゴジラファンだと知っていたビートたけしがテレビで「あれ盗んだのやかんなんだよ」と発言したら新聞の一面になったという。ツービートとの時にたけしが着用していたスーツもあった。なべやかんは明治大学の夜間(やかん)部に入学。たけしとテレビ番組をやっていた放送作家の高田文夫が「なべやかん」という芸名を思いつき、それがきっかけでたけし軍団に入ったという。たけしは「俺が防波堤になるから」とやかんを記者たちから守ってくれたが、たけしに一番最初に言われた言葉は「うちは刑務所より酷いからな」だった。雪山で全裸ラジオ体操をしたり、冬にぬか漬けにされたり、熱湯の墨汁に落とされたりしたという。このままでは死んでしまうと感じ、スポーツジムに通って鍛え始めたら、パワーリフティングの全日本大会で3回優勝した。ベンチプレスで日本記録も出した。