小豆島の移動販売車で出会ったのは、いなり寿司の材料を買いに来た佐伯さん(83歳)。買い物代8,775円を支払う代わりに家までついて行った。近所のお友達・高林さんと一緒に歩いて自宅に到着した。築50年の持ち家で間取りは5LDK。仏壇の前にはおりんの代わりに電気釜が置いてあった。妻・千歳さんは大腸がんで62歳で亡くなった。お風呂には洗剤が大量にストックしてあったが、風呂場はカビが生え、使っている様子がなかった。キッチンには丸島醤油のだし(小豆島製造)とハチミツを混ぜた調味料が置いてあった。煮炊きする時に使う。冷蔵庫には自家製の甘酒が冷えていた。スタッフに飲ませてくれた。食事はマロニー&そうめんを茹でた。手作りの甘酒を入れ、先ほどの調味料など色々混ぜた。冷凍庫の作り置き(豚肉&白菜)をレンジで温め、つけ麺のようにして食べた。スタッフもごちそうになった。寝室に虫が現れ、ハエ叩きを使って一発で仕留めた。戸棚の中にあった結婚式や新婚旅行の写真を見せてくれた。三保の松原や日光へ行き、陽明門ではぐれてしまったのが思い出だという。子どもはできず、2歳半の娘を養子にした。学校行事には参加したことがない。昔の父親はみんなそうだったという。佐伯さん27歳、妻・千歳さん22歳の時にお見合いで出会った。佐伯さんは役場勤務、妻は肥田乳業で働いていた。亭主関白だった佐伯さんは「おらんようになったらホンマにありがたさがようわかるで」と語った。
佐伯さんが妻・千歳さんのお墓へ案内してくれた。想像以上の立派なもので、バレーボールのオブジェがあった。妻は1964年の東京オリンピックで補欠だったという。新婚旅行の時に陽明門ではぐれてしまったので、陽明門の下で待っていてほしいとのメッセージが刻んであった。スピーカーもついていて、さくらと一郎「昭和枯れすすき」が聞ける。小豆島で一番美しく、思い出のある場所の絵も描かれている。
自宅に戻り、佐伯さんが妻について語った。亡くなる1年前に「気分が悪い。ご飯が食べられん」と言ったので、病院へ行ったら、肝臓の8割ががんだった。大腸がんが肝臓に転移していたという。死ぬ直前に「手伝ってほしかった」と言われた。もっと早うに気が付いてやればよかったと振り返り、妻への感謝を語った。おまかせくん(移動販売車)で佐伯さんの家について行ったら…妻への思いが詰まった自慢のお墓を見せてもらう事ができました。
佐伯さんが妻・千歳さんのお墓へ案内してくれた。想像以上の立派なもので、バレーボールのオブジェがあった。妻は1964年の東京オリンピックで補欠だったという。新婚旅行の時に陽明門ではぐれてしまったので、陽明門の下で待っていてほしいとのメッセージが刻んであった。スピーカーもついていて、さくらと一郎「昭和枯れすすき」が聞ける。小豆島で一番美しく、思い出のある場所の絵も描かれている。
自宅に戻り、佐伯さんが妻について語った。亡くなる1年前に「気分が悪い。ご飯が食べられん」と言ったので、病院へ行ったら、肝臓の8割ががんだった。大腸がんが肝臓に転移していたという。死ぬ直前に「手伝ってほしかった」と言われた。もっと早うに気が付いてやればよかったと振り返り、妻への感謝を語った。おまかせくん(移動販売車)で佐伯さんの家について行ったら…妻への思いが詰まった自慢のお墓を見せてもらう事ができました。