藤城清治は1924年の東京生まれ。子どもの頃から絵を描いて遊んで要ら彼は慶應義塾大学入学後に油絵や人形劇に熱中していった。卒業後は映画会社に入社しパンフレットデザインや、編集を手掛けていく。彼の絵に注目した伝説の編集者は花森安治。暮しの手帖を創刊した初代編集長。花守と打ち合わせをしている時、停電になり部屋は真っ暗に。ろうそくの炎の中である話題になった。それが影絵。学生時代に影絵の人形劇をやっていたとの話すと、花森はこれからは光と影の時代だと話連載がスタート。それは影絵を写真に撮影し、掲載するという全く新しい試み。題材は民話や童話。しかし藤城はその影づくりを中断してしまう。その理由は立ち上げた人形劇団「木馬座」がテレビや舞台で子どもたちに人気に。とりわけかえるのケロヨンは一大ブームに。藤城が影絵の世界に戻ったのは1970年代の半ば。新たな魅力に色を発見した。