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「朝日新聞社」 のテレビ露出情報

2カ月前に改修した大石さんの自宅を訪問。仏間は唯一の畳間でほかは板間に張り替えた。仏間には義両親と夫の写真が飾られていて、夫について優しくて喧嘩もなかったという。義両親たちも優しかったという。結婚は両親の勧めで同じ村の出身で仲が良かったという居間にはAV機器が充実しており、三男が設置してくれたが一人では見ないという。そして居間には家族の写真が飾られており、孫・ひ孫も夏休みによく来て、楽しいという。一郎さんは朝日新聞社に勤めていたが長男だったため跡継ぎとして決まっていて辞めたという。きち子さんは夫の死後、折り紙で工作するのが趣味で夜に寝る前に行うという。
家には三男の元吉さんが設置してくれた見守りカメラがあり、連絡してみる。おフウロとカメラが回ってるのが見えていると話し、スタッフが事情を説明した。普段食事を作っている所などを見守っており、車の出入りも確認している。家の中には4台と外に3台の7代が設置していて、防犯と安否確認用で遠距離交流のためにもなっているという。そしてきち子さんはスマホのおかげで元気と話し、ニュースも見るなどフル活用している。そして大きな段差がある場所は土間で薪ストーブは正月の寒い時だけ使い、普段は石油ストーブを使用している。土間には台所がありその奥には新しくできたお風呂がある。お風呂の操作も理解しており、お風呂が好きで毎晩楽しみだという。そしてお風呂からの景色も良いと紹介した。
水道は沢の水を浄化して使用しており、水道は無料。さらに浄水器が傷んだ時10万円以下だと役場で補助もしてくれるという。お茶は自家製茶を使用しておりスタッフがごちそうになった。家は子どもの提案で改修し、他に移ろうとは思わなかったという。そして一服した後、畑へ移動。向かうための道路は52年前に開通しそれまでは買い物は下の道を歩いて1日かけて行っていたという。97歳でも足取りが軽やかなきち子さん。途中で体操をしながらも約300m先の畑へと到着した。畑にはニンニクなどが栽培されており、物置には白菜を長期保存していた。また栽培は夏のみで冬は草刈りをするのみだという。昔は夫婦で稲作もしていたと話した。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月15日放送 16:48 - 18:50 テレビ朝日
スーパーJチャンネル(ニュース)
15歳の上皇さまの平和への思いは次世代に受け継がれている。今年の戦没者追悼式で天皇陛下は例年とは違う一言を付け加えられた。天皇陛下は、戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ平和と人々の幸せを希求し続けていくことを心から願いますと述べられた。日光に疎開中の上皇さまは田母沢御用邸や植物園に歩いて行っていたという。日光田母沢御用邸は現在も残されており、2階から皇居の方[…続きを読む]

2025年8月15日放送 13:05 - 18:00 NHK総合
第107回全国高校野球選手権大会白球の記憶
100年の間刻まれてきた高校野球の歴史。原点は甲子園ではなく豊中グラウンドで行われた。開催を知らせる新聞には初めて野球を見る人のための観戦ガイドが掲載された。当時野球はまだ国民的スポーツではなかった。大会初日第1試合は鳥取中-廣島中、始球式のあと第1球を投じたのが鳥取中の鹿田一郎投手だった。残っていた音声ではじゃんけんで偶然で決まったという。緊張の中の一球が[…続きを読む]

2025年8月15日放送 13:00 - 13:30 テレビ朝日
徹子の部屋(ゲスト 森田富美子&森田京子)
長崎原爆被害者の森田富美子さんは91歳の時に初めて被爆体験を語り始めた。母から語り部になりたいと聞いた時、娘の森田京子さんは今まで全く戦争の話などを聞いたことがなかったため驚いたと話した。長崎に原爆が落とされた日、女学生だった富美子さんは市内から離れた乗船所にいて丘の上から燃えている長崎の町やきのこ雲が見えたのを覚えているなどと振り返った。

2025年8月15日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブルNEWSドリル
横浜市中区にある「ブリキのおもちゃ博物館」には1890年代から1960年代にかけて主に日本で製造されたおもちゃ約3000点が展示されている。戦前の頃のおもちゃには装甲車のおもちゃや「爆弾三勇士」をモチーフにしたおもちゃなどがある。館長の北原照久さんは「おもちゃは時代を映す鏡。二度と戦争の時代が来ないでほしいと思う」などと話した。

2025年8月15日放送 10:25 - 13:55 TBS
ひるおびひるおび 親子WEEK
1945年4月1日アメリカ軍が沖縄本島に上陸、日本軍と激しい地上戦が行われた。沖縄が戦場になった理由について生徒たちが考える。朝日新聞木村さんは「日本本土を攻撃するための拠点に沖縄を使おうと考えた。日本は考えていた本土での地上戦には準備に時間がかかりなるべく沖縄に留めたかった、時間を稼いでおきたかった」とした。平和教育ファシリテーター狩俣日姫さんは日本とアメ[…続きを読む]

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