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「朝日新聞 大阪本社」 のテレビ露出情報

60年以上前のクレジットカードの時から、カードがボコボコしていたが何のために付いていたかというクイズを井桁に出題。正解は、ハンコの役割。インプリンターと呼ばれる器具で、押しながらスライドさせることでカードのボコボコ部分の数字と名前がカーボン紙の要領で伝票に写せるというもの。当時は手書きが多かったため、記入ミスが多かったという。このインプリンターはこの問題を解決してくれる器具だった。昭和55年からカード端末が普及し、電話回線を使った端末決済に徐々に移行し、店頭からインプリンターが徐々に消えていった。現在のクレジットカードには、凸凹になっていないものも多く、防犯上に理由からナンバーレスのカードも増えている。
現在朝日新聞では、東京で出来上がった紙面を各地の印刷工場にネットでデータ送信し印刷しているが、昭和34年頃までは東京で発行したものを列車と船などで運ぶしか無く、そのため北海道には1日遅れで到着するのが当たり前だった。記者が取材したものについて、現在は原稿や写真をネットで送ることができるが、ネットや電話が普及していなかった時代に原稿や写真を早く届けるため記者が使っていたものはなにかというクイズを出題。正解は、鳩を使って届けていた。鳩の帰巣本能を利用し、本社で飼育されていた鳩を連れていき、原稿やフィルムを鳩の足にくくりつけて送っていた。当時の新聞社には屋上に小屋が有り、世話や訓練をするハト係がいた。昭和28年には、船の上からハトを飛ばし写真を届けたり、富士山から鳩を飛ばし雪山遭難事故などを伝えていた。新たな通信方法が出来たことで、昭和36年に朝日新聞社は伝書鳩を廃止。役目を終えた鳩たちは、街の愛鳥家にプレゼントしていた。有楽町の朝日新聞東京本社跡地には、今も伝書鳩の功績を称えた銅像が設置されている。鳩に変わる新しい機械の1つは、肩掛けタイプの無線機。当時、重さ5キロの無線機を持って取材に向かい、口頭で状況を伝えていたという。写真は、写真伝送送信機を使っていて、現像した写真を電気信号に変換し電話回線で送信していた。
病院のカルテは、現在総合病院のような病院では診察した患者の情報は電子カルテが一般的。しかし昔は紙カルテだったため、診察室から離れた保管庫で管理し、様々な診療科へ紙カルテを運ぶといった作業が発生。そこでネットがない時代、あるものが活躍していた。
住所: 大阪府大阪市北区中之島2-3-18 中之島フェスティバルタワー

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