現在の兵庫県北部にあたる但馬国は、小田と毛利の勢力がぶつかり合う地域だった。生野銀山は室町時代に本格的に採掘が開始され、守護の山名氏から重臣・太田垣氏の手にわたり、その後、織田・豊臣・徳川の直轄の銀山として栄えた。昭和48年の閉山まで使われた坑道には、江戸時代以前の手掘りの坑道も見ることができる。太田垣氏が代々城主を務めた竹田城。近年では「天空の城」と呼ばれ、注目を浴びている。但馬攻略の折、この城を攻め落としたのは秀長だった。信長公記には、秀長が城代としてこの地に入り、城の修築を行ったことが書かれている。現存の縄張りや石垣は、その後に入った赤松氏の手によるものと考えれれている。但馬の支配を任された秀長は、秀吉の西国攻めの一翼を担い、ますます力を発揮していく。
