「ふりがなの『ルビ』は宝石のルビー」について、清泉女子大学の今野教授が解説。江戸時代後期、近代活版印刷の祖と呼ばれる本木昌造はオランダの本・蘭書の翻訳をしていた。1450年頃、ヨーロッパでは印刷機が誕生し活版印刷が広まっていたが、当時の日本の主流は職人が一つ一つ手で彫る製版印刷だった。16世紀末になると日本にも活版印刷が伝わったが、日本語は活字の種類が多かったため定着しなかった。しかし、蘭書の出来の良さに感動した昌造は、自分で印刷機を輸入し、アメリカ人の印刷技師であるウィリアム・ガンブルに活版印刷の技術を学んだ。活版印刷の技術を学んだ後、会社を設立。その頃、活版印刷の多くが新聞。当時の識字率は約48%。そのため、全ての漢字にルビをつけた小新聞というものを発行。その新聞のふりがなに使っていたサイズは7号。アメリカで小さい文字サイズは宝石の名前で呼ばれており、7号は「ルビー」と呼ばれていた。そこからふりがなを「ルビ」と呼ぶようになっていったと考えられている。