まず向かったのは京都市考古資料館。ここには事件の様子を物語る基調な物的証拠が遺されている。本能寺跡地で発掘された遺物で本能寺の軒先で飾っていた瓦。能の字は特別な形で右の作りはヒの難を避けるため去を使っていた。他にも鬼瓦まで遺されている。さらに戦いの激しさを物語るのが塊。寺の周りを囲っていた土壁が高温で焼かれ固まったもの。当時の記録によれば戦いが始まったのは天正十年6月2日早朝。信長は自ら槍を手に無関係な僧侶や女を逃した後、自害したという。2時間ほどで戦いは決着し寺は業火に包まれた。本能寺の変で討たれた織田信長にあるミステリーが浮かび上がる。焼け跡から信長の首が見つからなかった。天下を狙う明智光秀にとって死の証拠が絶対に必要で必死の捜索にも関わらず行方は知れなかった。
住所: 京都府京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522