1936年に杉野の祖父の創業者の杉野林平は大阪で杉野クリーナー製作所を創業した。つくっていたチューブクリーナーは清掃用のもので機関車の蒸気が流れる配管の内部をポンプで水を流しながら洗うためのもの。先端部分が回転し、溜まった汚れを落とした。1945年には林平の故郷の富山に工場を移転。戦後ある画期的な機械を開発したがその高圧ポンプがスギノマシンの飛躍のきっかけに。その開発をしたのは林平の四男。高度経済成長期で車が普及する一方で、多くの自動車メーカーが頭を悩ませていた。それは軽くて硬いと採用され始めた樹脂素材の加工。従来の切断方法では、素材が熱で変形してしまう。