2004年8月、再審請求は東京高裁で棄却された。しかしこの時、高裁の決定文には「衣類が味噌タンクに1年余りも漬かっていた」と明記されていた。マッチと絆創膏を味噌に漬けた実験の際に白いシャツも一緒に漬けていた。1年2か月後、シャツは変色した。検察が出したシャツは白いまま。山崎さんらは再び味噌漬け実験に挑み始めた。シャツにつける血は鶏の血を使った。知り合いの医師や協力者に呼びかけ、人の血液でも実験した。血は黒く変色したが証拠として出すには不十分だった。
27年間に及ぶ第一次再審請求は最高裁で棄却された。シャツの布地や味噌の種類、血液型や漬ける時間などあらゆる組み合わせで実験を重ねた。証拠開示がようやく認められ、検察が証拠として出していた全く違う味噌に染まっていない緑色のブリーフの写真もあった。証人尋問では山崎さんは実験の内容を述べた。再審が開始され、裁判長は5点の衣類は捜査機関のねつ造の疑いがあるという決定文を書いた。マスコミも誰も予想しなかった前代未聞の即日釈放だった。
27年間に及ぶ第一次再審請求は最高裁で棄却された。シャツの布地や味噌の種類、血液型や漬ける時間などあらゆる組み合わせで実験を重ねた。証拠開示がようやく認められ、検察が証拠として出していた全く違う味噌に染まっていない緑色のブリーフの写真もあった。証人尋問では山崎さんは実験の内容を述べた。再審が開始され、裁判長は5点の衣類は捜査機関のねつ造の疑いがあるという決定文を書いた。マスコミも誰も予想しなかった前代未聞の即日釈放だった。