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「東京のバスガール」 のテレビ露出情報

女性たちの社会進出の歴史を深堀りする。戦争中、男たちはみな戦場に行っていたため、社会を支えていたのは女性たち。しかし戦争が終わると男たちは日本に戻り、女性たちの仕事がなくなった。そんな中で女性たちが職業安定所で仕事を斡旋してもらうべく訪れていた。昭和22年に労働基準法が施行され、女性労働者の保護規定が設けられ、女性の社会進出・地位向上のきっかけとなった。この頃の女性の仕事として代表的なものは電話交換士やバスの車掌など。昭和30~40年頃にはバスの車掌は8万人ほどいたという。吉永さんは「当時は『東京のバスガール』という歌も流行っていましたね」とコメントし、「東京のバスガール」が流れた。昭和32年には主婦連合会が「お米の値上げ絶対反対!」と農林省(現:農林水産省)へ陳情に向かった。吉永さんは「初めて映画出演を言われたときはどう思った?」と聞かれると、「私の家がたいへん貧しかったんです。借金取りが来て父がつらい思いをしていたので、父のために何かやりたいと思っていたので、中学卒業してすぐに『日活』という映画会社に入ったんですが、その時に給料が1万円で、1本出演すると2万円だったんです。それは決して低い値段ではなかった。大変ありがたかったが、大変な重労働で夜寝る間もない撮影が1~2年は続きました。あの頃は同級生でも大変な思いをしている方がたくさんいたので、学校に行って給食費が払えなくて『忘れてきたって言いなさい』って母に言われたことがある。まさに『キューポラのある街』という映画の時に浦山桐郎監督に『貧乏について考えなさい』と言われた。私はそのときに『貧乏についてはよく知っています』と言ったんです。でも『君の貧乏は山の手の貧乏だろう?キューポラのある街の貧乏は下町の貧乏。違うんだ』と言われたんです」などと話した。昭和37年に公開された「キューポラのある街」。埼玉県川口市の鋳物職人の家庭に育つ吉永さん演じる・ジュンは貧しいながらも様々な困難に立ち向かう成長物語。「キューポラ」とは溶鉱炉のことを指す。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月26日放送 19:00 - 21:00 フジテレビ
今夜はナゾトレ世界遺産熊野古道&国宝彦根城大調査
「どこの駅前?」と出題。正解は「渋谷駅」「上野駅」「表参道駅」「赤坂見附駅」「日本橋駅」「浅草駅」「銀座駅」「溜池山王駅」「三越前駅」。

2025年2月12日放送 23:00 - 23:40 フジテレビ
週刊ナイナイミュージック日本全国ココだけ音楽ランキング
今回ははとバスのバスガイド編。5位いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」、4位フィンガー5「学園天国」、橋幸夫・金沢明子の大東京音頭、3位大塚愛「さくらんぼ」、2位石川さゆり「天城越え」、1位コロムビア・ローズ「東京のバスガール」。

2024年10月20日放送 7:30 - 10:25 日本テレビ
シューイチ今昔NEWSイッチ
夏の風物詩になった仕事を紹介。1990年、風鈴売り。昭和42年、金魚売り。女性の社会進出の象徴となった仕事を紹介。昭和38年、バスガール。昭和8年、マネキンガール。昭和3年、百貨店のエレベーターガール、エスカレーターガール。働く女性の花形と呼ばれていた仕事がタイピスト。明治時代までは米国から輸入された英文式のタイプライターしかなかったが、大正4年に実業家・杉[…続きを読む]

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