「風、薫る」にも登場する絵双六によると、富裕層に嫁ぎ、子宝に恵まれることこそ、明治を生きる女性の理想像とされた。だが、明治が進むと、看護婦は女性の目指すべき姿の1つとなる。鹿鳴館の華、大山捨松は看護婦の養成に取り組んだ。9歳の時に戊辰戦争が勃発し、籠城戦を経験。籠城した女性が残した史料によると、傷病者のため、身分の高い女性が包帯づくりに参加していたという。藩主・松平容保の義姉もその1人だった。捨松は津田梅子らとともにアメリカへ留学し、先進的な看護と出会った。23歳で帰国するも、「女性であるから」と就職もできなかった。すると、捨松は伊藤博文、井上馨の妻や津田梅子らとともに日本初のバザーを企画。女性たちが繋がり、語り合う場を設けた。女性史に詳しい湯澤規子氏は「新しい女性像を捨松は共有したかった」と語る。バザーでは約8000万円を売り上げた。その寄付をもとに、日本初の看護婦養成所が誕生。
住所: 東京都小金井市貫井北町4-1-1
URL: https://library.u-gakugei.ac.jp/top.html
URL: https://library.u-gakugei.ac.jp/top.html
