元刑務官の坂本敏夫さんは東京拘置所で袴田さんと話したことがあった。死刑確定前に袴田さんは「最高裁は分かってくれる」と話していた。袴田さんは東京拘置所で無実を叫び続けた。袴田さんは40年前にフリージャーナリストの高杉晋吾さんに宛てた手紙で捜査機関による証拠の捏造を訴えていた。死刑が確定した袴田さんは再審を請求。静岡地裁で再審請求を担当した熊田俊博元裁判官は、最初から無罪だと思っていたと話した。再審には無罪を示す新しい証拠が必要で、弁護団は証拠の開示を求めたが、検察はこれを拒否。裁判所にも証拠を提出させる法的な力はない。再審に関する規定は戦後70年以上改正されていない。1994年に静岡地裁は再審請求を棄却した。姉・ひで子さんは袴田さんのもとへ毎月通った。日本で初めて死刑判決から再審で無罪になった免田栄さんは生前に死刑の恐怖を語っていた。獄中生活が20年を過ぎた頃、袴田さんに変化が。手紙や日記の内容が支離滅裂になり、ひで子さんとの面会も拒むようになった。袴田さんは死刑の恐怖に怯えながら拘置所で48年を過ごした。
住所: 東京都葛飾区小菅1-35-1
