福島・大熊町は福島第一原発事故のため立ち入りが制限された。この町で生まれ育った木村さんは防護服を着て自宅があった場所に通い続けた。木村さんの自宅は福島第一原発から約4km、海から100mほどの場所にあり、大震災による津波で流された。父と妻と二女の姿が見えないまま木村さんは断腸の思いで故郷を離れた。震災から約1ヶ月後に父と妻は遺体では一見されたが、二女・汐凪ちゃんの行方は分からないまま。木村さんは生き残った長女を被爆から守るために長野・白馬村に避難。車で片道6時間をかけて捜索に向かう日々。2016年、自宅からわずか200mのがれきの山から初めて遺骨が発見された。一方、大熊町の一部地域では避難指示が解除され、徐々に人の営みが戻ってきた。木村さんは福島に戻ったが、周りの復興が進む中捜索を続けるべきか悩んでいた。2022年1月、数年ぶりの捜索で沖縄で戦没者の遺骨収集をする男性が力を貸してくれた。すると、土の中から遺骨が見つかった。
木村さんは震災後に生まれた子どもたちに経験を伝える活動を始めた。しかし、そんな矢先に木村さんは脳梗塞を発症した。
木村さんは震災後に生まれた子どもたちに経験を伝える活動を始めた。しかし、そんな矢先に木村さんは脳梗塞を発症した。