東日本大震災から15年。宮城・山元町は震災当時、津波で町の4割が浸水し、4400棟余が被害を受け震災関連死を含め637人が犠牲になった。震災後にJRの駅前に作られたニュータウンは10年前に完成。側にはスーパーなどが誘致され、小学校などが隣り合うように建てられたことで子育て世帯に人気となっている。山元町では元々沿岸部に集落が分散していたが、震災後に災害危険区域に指定して住宅の新築を原則に禁止した。内陸部に移転してもらうに当たって町は3か所のニュータウンへの移転を促した。現在ニュータウンには人口の2割に当たる2000人ほどが暮らしている。ニュータウンが出来た2016年からのグラフを見ると、大半の年で転入者が転出者を上回る状態が続いている。山元町は仙台市から電車で40分と利便性が高い事なども人気の理由。一方で新築が禁止されている災害危険区域では被害が遭った住宅を修繕すれば住むことはできるため、経済的理由などから移転せずに残る選択をした人もいる。そのため人口が減少した沿岸部のコミュニティーの維持や、地域の繋がりの希薄化などが課題。
町の夏祭りイベントには沿岸部やニュータウンから人が集まる。住民主体で開かれるイベントの担い手となっているのがボランティアの学生で、県内外から約120人が駆けつけ屋台の設営などを担当した。中心となっているのが地域おこし協力隊として2年前に移住した町田千咲さん。大学時代にはボランティアとして町の復興に携わっており、その経験を活かして全国にネットワークを持つボランティア団体と連携しながら賑わい作りに取り組んでいる。震災から15年となるのを前に行われた灯籠づくりには学生と沿岸部の住民が協力して作業を行った。こうした交流は学生にとって震災の経験を学ぶ場にもなっている。山元町では学生ボランティアと住民の繋がりが途絶えることなく、3つのボランティア団体と連携して年間500人の大学生が支援に訪れている。町田さんは今年の春にもボランティアを受け入れる新施設を作り、退任後も定住して活動を進めたいとしている。
町の夏祭りイベントには沿岸部やニュータウンから人が集まる。住民主体で開かれるイベントの担い手となっているのがボランティアの学生で、県内外から約120人が駆けつけ屋台の設営などを担当した。中心となっているのが地域おこし協力隊として2年前に移住した町田千咲さん。大学時代にはボランティアとして町の復興に携わっており、その経験を活かして全国にネットワークを持つボランティア団体と連携しながら賑わい作りに取り組んでいる。震災から15年となるのを前に行われた灯籠づくりには学生と沿岸部の住民が協力して作業を行った。こうした交流は学生にとって震災の経験を学ぶ場にもなっている。山元町では学生ボランティアと住民の繋がりが途絶えることなく、3つのボランティア団体と連携して年間500人の大学生が支援に訪れている。町田さんは今年の春にもボランティアを受け入れる新施設を作り、退任後も定住して活動を進めたいとしている。
