岩手県釜石市に住む東日本大震災の語り部の菊池のどかさん。当時菊池さんは卒業を2日後に控えた中学3年生だった。下校時間に大きな揺れに襲われ、他の生徒や隣の小学校の児童とともに高台へと逃げ延びた。大学卒業後には地元釜石市の震災伝承施設に就職し語り部ガイドとして自らの経験を伝えてきた。現在は個人で仕事を請け負うフリーの語り部で、東日本大震災で1700人以上が犠牲になった陸前高田市。釘子明さんも語り部で、震災では津波で自宅を流された。震災の2年後に一般社団法人を設立し語り部活動を行った。多い年は年間1万人を超える人が訪れていた。しかし近年は仕事も減少傾向にあるという。仕事道具のマイクはほとんど使うことがなくなったという。震災伝承に関する情報収集や発信を行う、3.11メモリアルネットワークの調査によると被災3県で震災学習プログラムに参加し他人は年々減少している。その後コロナ禍で急減しつつ徐々に回復。しかし2024年から2年連続で前年を下回っている。(3.11メモリアルネットワーク調べ)。
多くの海水浴客で賑わう福島県いわき市薄磯地区。この地にも津波が襲い100人以上が犠牲になった。語り部の大谷慶一さんは妻と津波に逃げる時の最中が忘れられないという出来事があり、生きるために人を助けることができなかったという。2013年に発足したいわき語り部の会の会長で、震災から15年が経過し、メンバーの大半が60代から80代と高齢化が進んだ。会長として、教訓を伝え続けてきたが去年には膀胱と尿管にがんがみつかり、治療のために数ヶ月間語り部活動ができていない。仙台市の東北大学災害科学国際研究所の震災伝承に詳しい佐藤翔輔准教授は、伝承方法によって受けての記憶にどれだけ違いがでるかを調査した。調査では、参加者90人を5つのグループにわけて語り部の体験談を聞いてもらった。方法は語り部本人から話を聞く、同じ話を別の人から聞く、本人の声付き映像を見る、音声だけを聞く、文章を読む。どれだけ内容を覚えているか直後と8ヶ月後に確認した。覚えていた量を数値化するとどのグループも差はなかったが、8ヶ月後になると最も記憶が残っていたのは語り部本人から残ったグループだった。次に別の人が体験談を話すグループが多かったが、誰がどんな手段でその話をつないでいくか体験を継承していくか、それは人なんだということがわかったという。
震災で700人以上が亡くなった宮城県名取市の閖上地区。後悔を抱えたまま語り部を続ける語り部がいる。閖上の記憶の代表の丹野祐子さんは震災当時に自宅の隣にある公民館で激しい揺れに襲われた。その後中学1年生だった息子の公太さんと合流したが、津波から逃げる際に見失った。2週間後に公太さんは変わり果てた姿で発見された。その経験を話すたびに震災当時に戻されるという。丹野さんが震災後に書いたメッセージ。悲劇を繰り返さないために続けてきた震災伝承だが、今、岐路に立たされている。
多くの海水浴客で賑わう福島県いわき市薄磯地区。この地にも津波が襲い100人以上が犠牲になった。語り部の大谷慶一さんは妻と津波に逃げる時の最中が忘れられないという出来事があり、生きるために人を助けることができなかったという。2013年に発足したいわき語り部の会の会長で、震災から15年が経過し、メンバーの大半が60代から80代と高齢化が進んだ。会長として、教訓を伝え続けてきたが去年には膀胱と尿管にがんがみつかり、治療のために数ヶ月間語り部活動ができていない。仙台市の東北大学災害科学国際研究所の震災伝承に詳しい佐藤翔輔准教授は、伝承方法によって受けての記憶にどれだけ違いがでるかを調査した。調査では、参加者90人を5つのグループにわけて語り部の体験談を聞いてもらった。方法は語り部本人から話を聞く、同じ話を別の人から聞く、本人の声付き映像を見る、音声だけを聞く、文章を読む。どれだけ内容を覚えているか直後と8ヶ月後に確認した。覚えていた量を数値化するとどのグループも差はなかったが、8ヶ月後になると最も記憶が残っていたのは語り部本人から残ったグループだった。次に別の人が体験談を話すグループが多かったが、誰がどんな手段でその話をつないでいくか体験を継承していくか、それは人なんだということがわかったという。
震災で700人以上が亡くなった宮城県名取市の閖上地区。後悔を抱えたまま語り部を続ける語り部がいる。閖上の記憶の代表の丹野祐子さんは震災当時に自宅の隣にある公民館で激しい揺れに襲われた。その後中学1年生だった息子の公太さんと合流したが、津波から逃げる際に見失った。2週間後に公太さんは変わり果てた姿で発見された。その経験を話すたびに震災当時に戻されるという。丹野さんが震災後に書いたメッセージ。悲劇を繰り返さないために続けてきた震災伝承だが、今、岐路に立たされている。
