昭和17(1942年)、戦時下の国民の士気を高め、兵士として戦える体力を養う方法として甲子園で体育大会が開かれた。「幻の甲子園」はこの大会の一環で、戦場では負傷しても戦い続けねばならないといった観点から負傷しても交代を禁じられるなど独自ルールがもうけられた。99歳の宮坂眞一氏は17歳の時、「幻の甲子園」に参加した1人で、ある選手は召集令状が来たため、帰宅を余儀なくされていたという。
住所: 長野県松本市県3-6-1
© 2009-2024 WireAction, Inc. All Rights Reserved.