藤井さんは「羽生九段との対談は本当にない」、羽生さんは「藤井さんの周りにはいつも人がいて中々ゆっくり話せない」などと話した。2人は2017年の炎の七番勝負で初対局している。藤井さんはここで羽生さんに勝ってから29連勝を達成した。2人は去年10月にNHK杯で対戦している。序盤は羽生さんが優勢だったが、藤井さんの「4五桂」の一手で局面が動き、AIの形勢判断が藤井優勢となった。結果は藤井さんの勝利。感想戦で語り合う2人は笑顔だった。映画「盤上の向日葵」で棋士を演じた渡辺謙さんは「対戦相手が目の前にいる時の感覚はどういうものなのか」と2人に質問した。羽生さんは「初めて対戦する時は無。対戦したことがある人には新しい気持ちで臨む」、藤井さんは「相手の存在感をどう感じるかが自分自身のコンディションの物差しになっている。対局は一つの対話でもある」などと話した。
昭和の時代に将棋は国民的娯楽だった。1988年度のNHK杯・準々決勝では加藤一二三九段と当時18歳の羽生さんがぶつかった。羽生さんは「5二銀」の一手で加藤九段を投了に追い込んだ。1994年度のNHK杯決勝では中原誠と米長邦雄が対戦した。164手までもつれた熱戦は中原が制した。羽生さんは「盤の前に座ると迫力を感じることもあった」などと話した。藤井さんは羽生さんの「5二銀」について「子どもの頃にこの一手を見て非常に印象に残っている」などと話した。羽生さんは「将棋はゲーム」とし、単純に強い方が勝つとの考え方で波紋を呼んだ。羽生さんは批判を実力でねじ伏せ、最年少記録を次々と樹立し七冠を達成した。その後も本で自身の戦術を明かしたり、仲間と研究会を行うなど周りも強くしながら自分も強くなっていった。
藤井さんは都内の呉服店で対局時の和服を仕立てている。対局後は和服を店に返すというが、藤井さんは対局の結果がどうであっても綺麗に和服を返すという。藤井さんは「負けは落ち込む。勝っても負けても同じようにやることで平常心を保っている」などと話した。渡辺謙さんは2人に「将棋を仕事と感じたことはあるか」と質問した。羽生さんは「オンとオフがあいまいな環境にいる」、藤井さんは「仕事としての責務は感じるが盤に向かうと仕事の感覚はない」などと話した。藤井さんは2016年に史上最年少でプロ入り。公式戦の連勝記録を塗り替えて八冠制覇まで駆け上がった。藤井さんの得意な形は「角換わり」。ライバルの永瀬拓矢九段は角換わりを「真剣での戦い」などと評した。藤井さんは勝利を追求する中で1つの戦法を掘り下げる道を選んだ。
藤井さんはAI時代の将棋について「AIを活用しながら知識を体系化していく」などと話した。羽生さんはAIの登場によって「将棋が速くなった」などと話した。藤井さんは去年10月のNHK杯で「4五桂」を指したが、これはAIも読みきれなかった最善の一手であることが分かった。藤井さんは「自分の中では自然な手」などと話した。また藤井さんはタイトル戦の際に絵馬に「おもしろい将棋が指せますように」と書いた。藤井さんは「AI時代だからこそ一手一手のやり取り、対話の末に一局が完成するという思いが強くなっている」などと話した。
渡辺さんは「将棋にとって年齢・キャリアをどう感じるか」と質問した。羽生さんは「棋士になって40年なので今後を考える段階には来ている」、藤井さんは「一局一局大事に指して長くやっていきたい」などと話した。昭和から平成にかけトップに君臨した米長邦雄。混戦からの逆転を得意とする泥沼流で4冠にも輝いた。しかし40代に入ると若手の研究で勝率は下がりすべてのタイトルを失った。追い詰められた米長は若手の棋士を自宅に集め最新の戦術を1から学び始めた。米長道場と呼ばれたこの研究会には羽生の姿もあった。米長は羽生の将棋を参考にし、羽生が自分の本当の師匠と語ったこともあり、49歳で初めて名人を獲得した。しかしここがピークで56歳のときにはA級から陥落したが、羽生との対局には勝利した。68歳の時には急速に力をつけてきた将棋ソフトと対戦。同じ年に亡くなるまで自らの可能性に挑み続けた。羽生さんは米長との対局を振り返り懐かしい感じがしたなどと話した。藤井さんは若手の将棋をお手本に自分の将棋を一度解体するのは難しい決断だったと思うなどと話した。羽生さんと藤井さんにとって将棋とは?との問いには藤井さんはゲーム、羽生さんは道と回答した。また、将棋で一番うれしい瞬間はとの問いには2人とも良い手を見つけられた時と回答した。
昭和の時代に将棋は国民的娯楽だった。1988年度のNHK杯・準々決勝では加藤一二三九段と当時18歳の羽生さんがぶつかった。羽生さんは「5二銀」の一手で加藤九段を投了に追い込んだ。1994年度のNHK杯決勝では中原誠と米長邦雄が対戦した。164手までもつれた熱戦は中原が制した。羽生さんは「盤の前に座ると迫力を感じることもあった」などと話した。藤井さんは羽生さんの「5二銀」について「子どもの頃にこの一手を見て非常に印象に残っている」などと話した。羽生さんは「将棋はゲーム」とし、単純に強い方が勝つとの考え方で波紋を呼んだ。羽生さんは批判を実力でねじ伏せ、最年少記録を次々と樹立し七冠を達成した。その後も本で自身の戦術を明かしたり、仲間と研究会を行うなど周りも強くしながら自分も強くなっていった。
藤井さんは都内の呉服店で対局時の和服を仕立てている。対局後は和服を店に返すというが、藤井さんは対局の結果がどうであっても綺麗に和服を返すという。藤井さんは「負けは落ち込む。勝っても負けても同じようにやることで平常心を保っている」などと話した。渡辺謙さんは2人に「将棋を仕事と感じたことはあるか」と質問した。羽生さんは「オンとオフがあいまいな環境にいる」、藤井さんは「仕事としての責務は感じるが盤に向かうと仕事の感覚はない」などと話した。藤井さんは2016年に史上最年少でプロ入り。公式戦の連勝記録を塗り替えて八冠制覇まで駆け上がった。藤井さんの得意な形は「角換わり」。ライバルの永瀬拓矢九段は角換わりを「真剣での戦い」などと評した。藤井さんは勝利を追求する中で1つの戦法を掘り下げる道を選んだ。
藤井さんはAI時代の将棋について「AIを活用しながら知識を体系化していく」などと話した。羽生さんはAIの登場によって「将棋が速くなった」などと話した。藤井さんは去年10月のNHK杯で「4五桂」を指したが、これはAIも読みきれなかった最善の一手であることが分かった。藤井さんは「自分の中では自然な手」などと話した。また藤井さんはタイトル戦の際に絵馬に「おもしろい将棋が指せますように」と書いた。藤井さんは「AI時代だからこそ一手一手のやり取り、対話の末に一局が完成するという思いが強くなっている」などと話した。
渡辺さんは「将棋にとって年齢・キャリアをどう感じるか」と質問した。羽生さんは「棋士になって40年なので今後を考える段階には来ている」、藤井さんは「一局一局大事に指して長くやっていきたい」などと話した。昭和から平成にかけトップに君臨した米長邦雄。混戦からの逆転を得意とする泥沼流で4冠にも輝いた。しかし40代に入ると若手の研究で勝率は下がりすべてのタイトルを失った。追い詰められた米長は若手の棋士を自宅に集め最新の戦術を1から学び始めた。米長道場と呼ばれたこの研究会には羽生の姿もあった。米長は羽生の将棋を参考にし、羽生が自分の本当の師匠と語ったこともあり、49歳で初めて名人を獲得した。しかしここがピークで56歳のときにはA級から陥落したが、羽生との対局には勝利した。68歳の時には急速に力をつけてきた将棋ソフトと対戦。同じ年に亡くなるまで自らの可能性に挑み続けた。羽生さんは米長との対局を振り返り懐かしい感じがしたなどと話した。藤井さんは若手の将棋をお手本に自分の将棋を一度解体するのは難しい決断だったと思うなどと話した。羽生さんと藤井さんにとって将棋とは?との問いには藤井さんはゲーム、羽生さんは道と回答した。また、将棋で一番うれしい瞬間はとの問いには2人とも良い手を見つけられた時と回答した。
