TVでた蔵トップ>> キーワード

「枢密院」 のテレビ露出情報

1926年、大正天皇崩御の日に遡る。崩御直後に出された毎日新聞の前身・東京日日新聞の号外。崩御の見出しと並んで元号は「光文」とあった。世紀の大誤報となり、編集幹部などの辞任へと発展。当時元号は、天皇の諮問機関である枢密院に、宮内省や内閣から候補が集められ審議された。その中に「光文」もあった。誤報後に囁かれたのは、スクープされたため急遽昭和に変更したという説。言語学者・中島利一郎氏は誤報から30年後に“光文”は自分が考えたと告白した人物。孫の若西さんは、祖父はいつも本に囲まれていたなどと話す。亡くなる2年前、中島さんは“光文”に込めた思いを雑誌の取材で語っている。かつて枢密顧問官の黒田長成氏の家で記録編集の仕事をしていた中島さん。この黒田氏が新元号の準備委員会を立ち上げ、中島さんに元号案を依頼。日清・日露戦争の勝利で国威の揚がる日本に危機感を持った中島さん。元号に込めたのは願いだった。そして、中島さんは号外を見て漏洩を疑ったという。スクープで元号が変更されたのかは不明だが、毎日新聞には因縁が残った。それから63年、昭和天皇の崩御を受け再び新元号の制定が始まった。当時、毎日新聞の官邸キャップだった仮野さんは、元号をメディアがすっぱ抜いたら変えるという発言もずいぶんあったという。仮野さんは、元号制定の閣議が始まればもう変更はないと踏んでいた。記者でごった返す官邸で、後輩記者が密かに仮野さんにメモを手渡した。新元号発表の35分前だった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年3月26日放送 22:00 - 23:00 NHK総合
歴史探偵(歴史探偵 放送100年スペシャル)
1923年9月1日、関東大震災。マグニチュード7.9、死者・行方不明者10万人。近代日本史上最大の被害を出し、帝都は壊滅した。その翌日、大震災へ対応するため新しい内閣が発足した。山本首相に内務大臣を任された後藤は、「復旧にとどまらず、復興を企画すべし」と決意表明を残している。
東京千代田区にある市政会館、かつて東京市長も務めた後藤に関する資料を数多く保存し[…続きを読む]

© 2009-2026 WireAction, Inc. All Rights Reserved.