関ヶ原の戦いで西軍は敗北し、立花宗茂は改易を言い渡された。京都の大慈院で打ち込んだのは茶の湯で、千利休から教えを受けた細川忠興に認められるレベルまで究めたという。茶の湯の歴史に詳しい岡宏憲氏は「再就職活動中に資格を取得し、再就職を有利に進めるイメージ」と話す。宗茂は連歌、蹴鞠など芸事に邁進した。その後、二代将軍の秀忠の旗本に取り立てられ、大阪の陣では戦場での豊富な経験を披瀝した。そして、将軍に助言をする役職「御咄衆」にも起用され、宗茂は幕府の公式記録である徳川実紀に「12人の御咄衆の中で最も優れている」などと記載されている。最終的に宗茂は柳川の大名として復帰を果たした。
住所: 福岡県柳川市隅町71-2
URL: http://www.city.yanagawa.fukuoka.jp/kyoiku/rekishibunka/shisetsu/komonjo.html
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