富山の山奥に暮らす喜一さんを訪ねた。敷地には水力発電用の水車小屋と17棟の手作り小屋が17棟あり、2000坪に1人でほぼ0円生活をしている。喜一さんは自宅小屋の前の露天風呂で入浴し、スタッフも体験させてもらった。ホウレンソウやインゲン、サツマイモなどを栽培しほぼ自給自足。おやつはクルミ味噌をつけた里芋だった。敷地の端では海水を煮詰めて塩も作っていた。雪の中が冷蔵庫になっている。自宅の囲炉裏でイノシシ肉を焼いてく振る舞ってくれた。富山の山奥で農家の長男として生まれ育った喜一さんは、学校から帰ると遊ぶことも許されず畑仕事を手伝わされていた。その時の辛い思い出が頭に焼き付き、農家だけは継ぎたくないと心に誓った。大学卒業後は富山県庁に就職し、27歳の時にお見合い結婚。子どもにも恵まれた。35歳の時に実家で農業を続けていた父が62歳で引退したが、喜一さんは継がず農家は廃業。登山で京都を訪れた際に桂川の源流で自給自足をしている仙人に出会い衝撃を受けた喜一さんは、自給自足で生きてみたいとかつて父が農業をしていた荒れた土地を開墾した。小屋づくりや炭焼きをして、街の子どもたちが体験学習もしにくるようになった。しかし2018年に台風8号が直撃し、建物のほとんどが半壊。もう一度建て直すのは無理と感じたが、ここで学んだ子どもたちが周山作業を助けに来てくれたという。喜一さんは父の代で途絶えてしまった紙すきを復活させようと幼い頃の記録を頼りに和紙づくりを始めた。