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「横手市(秋田)」 のテレビ露出情報

焼きそばは具材と麺を炒めるが味付けにはウスターソースを使用。いつどのように現代の形になったか?明確なことはわかっていない。焼きそばが大好きな塩崎さんによるとルーツは広東料理のあんかけ焼きそばと語る。創業1913年の店から暖簾分けした中国料理店があるが、メニューをみると、やきそばが。まず生麺をせいろで蒸し上げ、その麺を油を使って焼き上げていく。野菜などの具材を鍋で痛めて出汁スープを加え、塩などの調味料で味付け。とろみを加えたあんを麺にのせて完成。中国料理店で昔から出されていた焼きそばだが、店主はその調理法について、生そばではダメだという。この中国風の焼きそばは現在に変わったのか?東京・浅草には日本に現存する最も古い地下商店街の一つは1964年創業の店は、日本で知られているソース味の焼きそば。調理法は昔から変わっていない。キャベツなどの具材をいれ、そこへ製麺所から仕入れた麺を投入し手早く混ぜ合わせる。注文が入ると、温め直してウスターソースで味付け。お店で麺を蒸したりはせず加熱するのみ。90年前に発行された指南書「素人でも必ず失敗しない露天商売開業案内」にはその中に焼きそばのレシピがのっている。具材はキャベツとソース。麺の説明には、最初にそばの玉をとかしておくと記されている。さらには、最近では、焼きそば用にふかしたものがあり、そこに頼めば便利等と書いてある。先ほどの店に、やきそばの麺をおろしている製麺所へ。生麺を蒸し器で40分ほどふかして加熱調理している。お店に届いた時点で、麺は調理済みのために、麺は温めれば使うことができる。これが露天商に向いていた。
終戦後の闇市で撮影された焼きそばの屋台と思われる写真。塩崎さんは戦後は水を手に入れる事が難しかったが、焼きそばはその点においても大量の水を使用しないで済むので屋台にもってこいだった。戦前からソース焼きそばを提供している店が3軒あったが浅草の周辺にあり、一番古いのは浅草というのが塩崎さんの考えだという。その3軒の中で最も古いのは1903年創業の喫茶店。店で今も出されている一皿に薄焼き卵で包まれたソース味の焼きそば。創業者の杉平寅造さんのアイディアから生まれた。3代目女将の淑江さんが当時の味を引き継いでいるという。大正期にはあったメニューで、屋台で焼きそばを出す店があったため、先代はそれを店で出したかったと思ったという。民俗学者の柳田国男の著書にはお好み焼きのマネごとが数十人の専門家を生活させていると記している。また、1918年の新聞には、お好み焼きのメニューが書かれている。シウマイ、カツレツ、エビ天プラなど、現在のお好み焼きには似つかわしくない料理の名前が並んでいる。当時のお好み焼きのスタイルを今に受け継ぐ店を尋ねた。1937年創業の鉄板焼店。今でも出されているしゅうまい天という料理は餅を並べひき肉とタマネギを混ぜた小麦粉を流し込んでじっくり焼き上げる。 塩崎さんはお好み焼きは元々いろいろな洋食や中華料理、和食をモノマネして出すパロディ料理だったという。そこへ取り入れられたのは中国料理の焼きそば。そもそもウスターソースは、19世紀頃のイギリス・ウスターで生まれたとされ、程なくして日本に伝来。
日本の調味料にはない特徴が。ウスターソースはどのようにして作られるのか?タマネギ、ニンジン、セロリ、お酢、塩、砂糖で最後に様々なスパイスを使用しており、野菜の美味しさ、香辛料の香りを楽しめるソース。和食では出汁を取り、醤油や塩や味噌などで味付けをしてきた。一方のウスターソースは野菜のうまみや味付け、香辛料も加えられており、これ一つで味が完結する。製麺所で蒸した麺を使い、ウスターソースで味付けする。日本で焼きそばは、とても簡単な料理として生まれ変わった。スーパーマーケットやコンビニエンスストアでは、購入された商品の売上金額を集計している。全国1060店舗のスーパーマーケットを対象に調べたデータによると、2023年に麺類で最も売れた商品では、3位はインスタントラーメン、2位はそうめん、1位は焼きそばだった。1位となった商品が発売されたのは1975年。蒸し麺が3人前で、味付けは粉末ソース。好みの具材をあわせるだけで完成する。2006年に、ご当地グルメによるまちおこしイベント第一回大会が行われた。全国から10の団体が参加。カレーライスや焼き鳥など自慢のメニューが披露された。2万人近く訪れた客は料理を食べ比べ、気に入った団体に投票。この時最も多くの票を集めたのは静岡の富士宮やきそばの団体だった。
静岡県・富士宮市は古くから、富士山本宮浅間大社の門前町として栄えた。人口12万人の街に、焼きそばを提供する店は70軒以上。富士宮やきそばには、いくつかの特徴がある。具材に使用されるのは肉かす。豚の背脂を加熱して脂を取り除いたもの。麺は市内の製麺所で作られた蒸し麺を使用。味付けはソース味で、最後にサバなどの削り粉をふりかけて完成。この店ではお客自らが鉄板で焼くことも可能。市内の昔懐かしい駄菓子屋の店主の前島さんは、40年以上前にこの店を始めた。お店の一角には鉄板があり、店主自ら焼きそばを作る。富士宮やきそば学会の代表の渡辺さんもこの焼きそばで育ったという。富士宮やきそば学会によると、戦後自宅の軒先で駄菓子屋を始める女性が沢山いたという。店で出すメニューとして手軽に作れる焼きそばはうってつけだった。現在は店で焼きそばをふるまうお店も富士宮でこの一軒のみに。
2009年には富士宮やきそばの強力なライバルに秋田県の横手やきそばが。2024年9月には横手やきそばフェスティバルが開催。市内で焼きそばを提供する店が軒を連ねた。人口およそ8万人の横手市へフェスを目当てに2日間1万人が訪れた。横手やきそば暖簾会の三浦さんは柔らかい麺について、茹で麺でソースを絡めた時に吸い込みやすいという。横手二焼きそばを広めたのは萩原安次さん。1953年に横手で初めて焼きそばを提供した。萩原さんはもっと焼きそばに適した麺はないか?と製麺所の社長に相談した。たどり着いたのは麺を茹でるという方法。より多くの人に食べてもらおうと考えた。萩原さんをよく知る伊藤一男さんは、1965年に萩原さんから一緒に横手で焼きそばを広めようと持ちかけられた。二人は横手の人々に焼きそばの作り方を教えてまわった。わずか数年で100軒の焼きそば屋ができた。2001年には横手やきそば暖簾会が発足。伊藤さんが初代会長にそれから8年後に、御当地グルメで競う、まちおこしイベントで横手やきそばの団体は1位に。
静岡県富士宮市では多くの外国人観光客が富士宮やきそばを食べている。日本で誕生したソース味の焼きそばは世界に広まりつつある。アメリカ・ニューヨークで日本食の祭典のJAPAN Fes New Yorkが行われた。2023年の粉ものコンテストでは大阪のたこ焼きに広島のお好み焼き。参加した7つの団体の中で投票の結果、1位になったのは富士宮やきそばだった。また焼きそば用ソースの需要が海外市場で人気になっているという。マドリードの惣菜コーナーでは日本の焼きそばが並んでいた。フードコートでもおなじみに。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月21日放送 15:49 - 18:50 TBS
Nスタ(ニュース)
秋田のコメ農家の熊谷賢さんは「令和のコメ騒動」で備蓄米を放出し、コメの値段を下げた自民党に違和感を覚えたそう。生産者の声を知ってか知らずか、選挙戦では初日からコメどころの山形をまわった小泉進次郎農水大臣。翌日には現役コメ農家として立候補した中泉候補の応援のため秋田へ。生産者に対し、備蓄米放出は緊急事態であり自分たちが一番マシなどと訴えた。その直後には若手生産[…続きを読む]

2025年7月20日放送 21:00 - 0:00 TBS
選挙の日2025 太田光が問う!暮らしは本当に変わるのか?(選挙の日2025)
秋田のコメ農家・熊谷さんは、コメの値段が高くなって、農家がやる気を出した瞬間に、コメの値段が下がるような備蓄米の放出を行ったなどとし、令和のコメ騒動を通して自民党に違和感をおぼえたという。小泉農水大臣は、選挙戦初日からコメどころをまわった。翌日には、秋田に入り、現役コメ農家として立候補した中泉候補の応援にかけつけた。このとき、小泉大臣は、若手生産者たちの意見[…続きを読む]

2025年7月17日放送 5:50 - 9:00 日本テレビ
ZIP!TOP NEWS 解説
全国3位の収穫量をほこる秋田・横手市。農業法人の代表・熊谷賢さんはおととしまでは収穫した米の7割をJAに出荷していたが、今年はすべての米を商社や個人に販売することにした。その背景にあるのはJAにコメを出荷する際に農家に支払われる前払い金「概算金」。去年、商社側が提示した買い取り価格は2万円台中盤。JA概算金は2万円に届かなかった。概算金がコメ作りにかかる費用[…続きを読む]

2025年7月13日放送 18:30 - 20:50 テレビ東京
日本全国!その土地ならではのご当地グルメ界隈を分析&のぞき見!〇〇界隈!のぞき見&分析!日本全国 ご当地グルメ界隈SP
秋田県大仙市界隈ではぼだっこ弁当が大人気。JA秋田おばこしゅしゅえっとまるしぇで買っている人に聞いてみる。ぼだっこ飯はご飯200gに小さな鮭がのっているだけ。大仙市界隈では飛ぶように売れる。秋田の方言で塩鮭をぼだっこという。ぼだっこ弁当の鮭は激辛で、塩分10%以上。コスパ最強の料理。別のスーパーには塩分13%のしょっぺぼだっこが。おにぎりの具材にもぼだっこが[…続きを読む]

2025年7月5日放送 15:00 - 16:30 日本テレビ
THE MUSIC DAY(THE MUSIC DAY)
秋田県民が愛するわたしの歌は高橋優「福笑い」。高橋が毎年主催する秋田のフェスでは約1万6000人で大合唱。誕生のキッカケは高橋のラジオに届いた女性からのメッセージ。アメリカ留学中に「共通言語は笑顔じゃなくて笑顔」に気付いたという。その言葉を聞いて即興で作ったのが「福笑い」だった。

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