戦死から9か月。軍神となった大舛の憲章運動は凄まじく、関係者が集まり座談会が行われ恩師・母校・実家などそれぞれをテーマにした特集が組まれ、大舛大尉傅の連載は136回に及び戦死した様が如何に壮絶だったかを強調した。戦死を美化する価値観は歌によっても植え付けられた。軍神は皇民化教育の徹底と強く結びついている。沖縄戦直前の3回忌が近づくと紙面には大舛の記事が掲載された。戦死者が出た家には“誉の家”の札が掲げられ周囲から尊敬を集めた。軍神の妹として取材を受けた大舛清子さんは本意ではない軍神の妹としての振る舞いを求められ戦死している。大舛を生んだ与那国には2016年に自衛隊駐屯地が完成。上地常夫与那国町長は「東京の人が情報を得るのと、我々が実際にここに住んでいる裸が違う。有事があるとは思っていない。東京は有事あるかもしれないと言っている。なにか違うような気がする」などと話す。妹の山田さんは「人を勝手に祭り上げて。軍神でも何でもないただの兄貴」と語った。
