- 出演者
- 児嶋一哉(アンジャッシュ) ウエンツ瑛士 富澤たけし(サンドウィッチマン) 八木亜希子 伊達みきお(サンドウィッチマン)
今回は宮城で夜から朝まで頑張る人大調査SP。
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- 宮城県
ウエンツが東松島市の後藤水産三代目・晃一さんの漁に同行した。深夜3時に出航した。養殖池があるのは陸地から約2キロの沖合で、長さ6mのロープに吊るして牡蠣を育てている。機械で巻き取り、カゴに収穫する。1カゴに入っている牡蠣の個数は約200個。ウエンツは30キロのカゴを積み上げていく手伝いをした。東松島の牡蠣は、鳴瀬川からの栄養と荒波の影響で甘みがある引き締まった身に成長する。
ウエンツが東松島市の後藤水産三代目・晃一さんの漁に同行した。牡蠣の収穫を終え、朝6時40分に帰港した。収穫した牡蠣は二代目・晃さんが運転するフォークリフトで水揚げ。漁に出ていた深夜3時半頃、晃さんは前日に収穫した牡蠣の殻剥きをしていた。一晩で剥く牡蠣は6~8千個。ウエンツも牡蠣の殻剥きを体験した。東松島では震災で養殖設備だけではなく稚貝もほぼ全滅した。晃さんは、わずかな稚貝が残っていたのでいくらかでもやったら養殖ができるんじゃないかという形でスタートした、お客さんからの励ましの言葉が心の支えになったと話した。殻剥きを終え、牡蠣づくしの朝メシを食べた。
松下由樹が仙台にロケに行った。
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- 仙台市(宮城)
松下由樹が仙台にある「おにぎり茶屋 ちかちゃん」の加工場を訪れ、作業を手伝った。地元のスーパーや仙台空港など宮城県内16箇所で販売しており、地元民から人気。深夜2時半に作業開始。水に浸してあるもち米の水を切り、セイロの上に運んだ。7時までにすべての作業を終わらせるという。
松下由樹が仙台にある「おにぎり茶屋 ちかちゃん」の加工場を訪れた。店のこづ恵さんは普段は母・千賀子さんと作業をしているが、この日はお休みのため代わりに松下がお手伝い。米は冷水で洗い、水の分量は毎回微調整している。塩で下味をつけ15分水に浸ける。おにぎりは700個、いなりは200個、豚汁は50杯を作る。深夜3時になり、具材調理に取り掛かった。松下は豚汁と五目おこわ用の具材をカットした。焼き上がった鮭をほぐし、白菜は素手で細かい汚れを落とし豚汁用と浅漬用にカット。味噌蔵の壁には津波が浸水した跡が残っていた。樽は敷き詰められていたため倒れず、200本中ダメになったのは5~6本で済んだという。午前4時になると他のスタッフも出勤し、松下は焼きおにぎりの味噌をおにぎりに塗っていった。午前4時半になり、おこわを握りパックに詰めた。
早朝5時20分になり、合計100パック分のいなりを詰めていった。豚汁も完成し、すべての作業が終了。朝7時45分に加工場の隣りにあるこづ恵さんの自宅で朝メシとなった。
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- 仙台(宮城)
オープニング映像。
大阪・西淀川区で住職をしている山田さんの幸福時間は、3か月に1度のバイクツーリング。1時間ほどかけて弟子がいる兵庫の寺に行く。30年前に夢だったタイプのバイクを手に入れた。
私の幸福時間の番組宣伝。
松下は「おにぎり茶屋 ちかちゃん」の店頭販売も手伝った。
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- おにぎり茶屋 ちかちゃん
白謙かまぼこ店の作業に密着。一晩で作るかまぼこは約3万枚で、まずは機械で魚の生肉を練る。原料はキンキ、スケソウダラ、グチ。時折ヘラで肉の弾力を確認し、肉質を見極める。人気の笹かまぼこは製造機で仕上げるが、機械ではできない職人の作業がある。
白謙かまぼこ店の作業に密着。笹かまのライン稼働前には製造本部長の中野さんが味見し、弾力や断面のツヤ、舌触りをチェックする。震災では工場も大きな被害を受け会社存亡の危機になったが、客から届いた手紙に勇気づけられたという。
「ぜんぶ、あなたのためだから」の番組宣伝。
白謙かまぼこ店の作業に密着。震災では工場も大きな被害を受け会社存亡の危機になったが、客から届いた1万通もの手紙に勇気づけられたという。応援してくれる人に1日も早く白謙の味を届けたいと、震災から1か月後の4月17日に本店での製造・販売を再開した。
エッセイ「やっぱり猫 それでも猫」の告知。
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- やっぱり猫 それでも猫中央公論新社
仙石線を支える仕事に密着。JR東日本テクノサービスの高野さんは、夜7時半から仙台車両センター宮城野派出で車両内を1人で掃除を始めた。沿岸部を走るため砂が多く、この時期は融雪剤もあった。夜8時半に1編成が終了した。仙建工業の川熊さんは、よる11時40分に補強継目板の取り付けの作業を始める。レールに傷がある部分を分厚い鉄板で応急的に補強する作業で、川熊さんたちは朝5時までに10キロの範囲を移動しながら5か所に継目板を取り付ける。仙石線は津波の被害が大きく、中には線路と駅を造り直す必要がある箇所もあった。入社4年目の頃に仙石線の復旧工事を担当した川熊さんは本当に直せるかと感じていたが、沿線に住む住民からの声で気持ちが変わったと話した。震災から4年後、49キロに及ぶ全線で運転を再開した。継目板の設置が終了すると、朝7時に事務所で朝メシのお弁当を食べた。
