徳島県は江戸時代からの船大工の技術を受け継ぎ木工職人が県内に多くいた。明治時代には京阪神からの需要に答え鏡台生産が始まったといわれ全国的な産地の1つになった。「阿波鏡台」が世代を超え受け継がれる様子を取材した。阿波鏡台は落ち着いた色合いや曲線美などが特徴で高級婚礼家具として花嫁に贈られてきた。昭和の最盛期には県内だけで年間約25万台を生産していたがライフスタイルの変化などで去年はおよそ70台に激減、職人の数も数人に減った。去年阿波の名工に選ばれた江淵達人さん50年にわたり徳島市で木工業を営んできたが去年までの20年間で鏡台を作らなくなったが絶やすまいと仏壇が中心だが店の名は鏡台店から変えていない。親子は親しみを持ってもらうためにパール光沢を加えるなど新たな鏡台作りに取り組んでいる。母の形見の鏡台を蘇らせてほしいと依頼した橋本さんは「母にとっては毎日を映す人生そのものでもあったのでは」と話す。1ヶ月後に修理を終えた鏡台が届いたが引き出しの中のシミなどはそのままにしておいたということ。羽深さんは徳島伝統の別の木工製品を取材をした時に江淵さんと出会い阿波鏡台を見せてもらったことがきっかけの取材だった、江淵さんは「鏡台職人としての誇りを持って製作や修理に力を尽くしたい」と話していたということ。