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「沖縄戦」 のテレビ露出情報

先月、沖縄の久米島に戦争の犠牲者を悼む慰霊碑が建てられた。旧盆を迎えた沖縄では各地で太鼓の音が響き渡り亡くなった人への祈りを込めたエイサー祭りが行われた。今年は沖縄戦から80年の節目、終戦後も続いた戦いの中で家族や友人を失った人たちの心は今も癒えることがない。県民の4人に1人が命を落とした沖縄戦。指揮を執った牛島司令官が自決し戦闘が終結したのは6月23日とされている。しかし、この日終わったのはあくまで組織的な戦闘。ゲリラ的な戦いは各地で続いていた。沖縄本島から西へ100kmの場所に位置する久米島も、その1つ。アメリカ軍が上陸してきたのは6月26日のことだ。当時6歳だった上江洲由美子さんはその時のことを鮮明に覚えている。上陸したアメリカ軍は住民には友好的で、農作業中の人たちと会話をしている様子を収めた写真も残されている。しかし、こうした状況に神経をとがらせたのが島に残った日本軍だった。島の軍事情報を提供したりアメリカ軍のスパイとなったりしているのではないかと疑ったのだ。日本軍が住民に出した通達には「敵が宣伝ビラ散布の場合みだりにこれを習得するものは敵側スパイとみなし銃殺する」と記されていた。この時、島にいた日本軍はおよそ30人で、北部にある山の中に身を潜めていた。何が彼らをそうさせたのか、大きな要因が沖縄戦を指揮した牛島司令官が自決する直前に出した最終命令だ。「最後まで敢闘し悠久の大義に生くべし」つまり生き残った兵士に投降することを許さず最後の1人になるまで、アメリカと戦い続けろと命じていたのだ。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年12月19日放送 3:45 - 4:30 TBS
TBS NEWS(ニュース)
比嘉富子さんは7歳の時に沖縄戦を体験した。比嘉さんは父親と兄弟合わせて5人で暮らしていたが、父親が食料調達に出たきり戻らなかったことを受けて兄弟だけで南部へ避難。10日間かけて南部・糸満市にたどり着いたが、避難の中で残りの兄弟も亡くなったという。その後比嘉さんは自然壕・ガマで老夫婦と出会い、アメリカ軍の投降を呼びかける声に従ってガマを出たという。その時に老夫[…続きを読む]

2025年12月10日放送 10:25 - 13:55 TBS
ひるおびJNN NEWS
数え年97歳を祝うカジマヤーをむかえた山城スミさん。150人以上が地域で祝福した。1945年3月に米軍の攻撃がはじまると、山城さん一家は屋敷壕に避難。6月になると爆撃は激しくなり、15日に故郷の糸満市は米軍に占領された。当時、4人きょうだいの1番上・長女だった山城さんは父から家族を守るよう言われていた。攻撃が止まった夜、祖母と母と3人で家族のために命がけで食[…続きを読む]

2025年12月6日放送 17:30 - 18:50 TBS
報道特集(特集)
戦死から9か月。軍神となった大舛の憲章運動は凄まじく、関係者が集まり座談会が行われ恩師・母校・実家などそれぞれをテーマにした特集が組まれ、大舛大尉傅の連載は136回に及び戦死した様が如何に壮絶だったかを強調した。戦死を美化する価値観は歌によっても植え付けられた。軍神は皇民化教育の徹底と強く結びついている。沖縄戦直前の3回忌が近づくと紙面には大舛の記事が掲載さ[…続きを読む]

2025年9月16日放送 19:30 - 19:57 NHK総合
クローズアップ現代明治生まれ最後の5人 令和のあなたに送る言葉
取材当時、沖縄唯一の明治人だった喜友名靜子さん。沖縄戦の時32歳だった喜友名さんは4人の子どもを守り抜いた。戦後はアメリカの占領下で商店を営んだ。苦しい時期を生き抜いた喜友名さんの存在が家族の支えとなってきた。

2025年8月18日放送 0:55 - 1:25 日本テレビ
NNNドキュメント’25(NNNドキュメント’25)
今も残る80年前の痕跡。20万人余りが犠牲となった沖縄戦。砲弾の雨から逃れるため、住民や日本兵が身を寄せていたのが自然洞窟である。沖縄の方言で”ガマ”という。20年以上にわたり、独自にガマを調査している男性は戦争の実相とは何か置い続けている。崩落・劣化により80年前の戦争を静かに語るガマが消えようとしていた。外国人観光客で賑わう東京・浅草。そこで今年6月に開[…続きを読む]

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