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「浅丘ルリ子」 のテレビ露出情報

明治初頭に日本初の鉄道が開通して、銀座は東京の新たな玄関口にり、最新の西洋文化が流れ込んで資生堂や木村家らが店を構えるようになった。銀座にある服部時計店の服部金太郎は31歳の頃に国産時計の製造に着手して大量生産に成功した。しかし大正12年に関東大震災があり、 銀座はほぼ全域が消失した。しかし銀座はそこから大胆に生まれ変わり、銀座通りの店も早々に店を開いた。震災の翌年には銀座初のデパートの松坂屋がオープンした。こうした銀座復興の顔になったのが女性たちだった。
1937年から日中戦争が始まると街の風景は変わっていき、戦争のプロパガンダの宣伝に利用されるようになった。そして1941年には太平洋戦争が開戦し、いろいろな場所で戦意高揚の垂れ幕が掲げられるようになった。1945年に銀座は空襲に遭い戦場になったという。そして連合国軍の占領が始まり、銀座の主役はアメリカ人になった。かろうじて残った建物は接収されて占領軍専用の商店になった。
「東京ブギウギ」を歌っていた笠置シヅ子は女手ひとつで子どもを育てており、日劇に通う女性たちと交流を深めていき、女性たちの再出発を支援した。1952年に講和条約がなり、占領軍は街から去った。そして服部時計店は和光と名前を変えて、時計盤も修復されて、銀座は流行の発信地になっていった。復興の進んでいく銀座で高級クラブが次々に開店していって、そこで川辺るみ子と上羽秀という2人のマダムが銀座でしのぎを削ったという。この場所で認められることが男の信用と地位を示す証になっていった。
復興した銀座は高度成長期になって、さらに姿を変えていった。1970年に銀座で歩行者天国が開始された。一方で銀座に住む人達は減っていった。1980年代のバブルになって多くの高額商品が売れていった。銀座の土地の価格も高騰して、投機の場になっていった。一方で相続税の高さによって老舗が店を手放すことが増えていった。また娯楽の中心がテレビになっていき、日本劇場も閉館することになり、最後の日には笠置シヅ子の姿もあった。
バブル崩壊後の銀座は、バブル景気を目当てに店を構えた金融機関などが撤退し、跡地には海外の高級ブランド店が入っていった。そして銀座の主役は海外から訪れる富裕層に変わっていった。一方で明治以来の老舗の資生堂や木村家も健在だ。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年11月10日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(オープニング)
今回は銀座を特集。明治時代に銀座はいち早く西洋化を遂げて、文明開化の発信地になった。ただ1923年に関東大震災に遭った。そこから復興して銀座は最先端のモダン都市に生まれ変わった。ただ戦後は進駐軍の利用されることにあった。しかしさらにその後は日本の大衆文化を牽引する都市になっていった。

2025年9月21日放送 12:00 - 12:55 テレビ朝日
ビートたけしのTVタックル(ビートたけしのTVタックル)
今年は昭和元年から数えて100年目。物価高騰が続く中、国民の生活に重くのしかかっているのが消費税。消費税が導入される前の昭和には様々な課税制度があった。まずは昭和15年に導入された「物品税」。物品税は食料品や衣料品などの生活必需品には課税されず、宝石や家電製品などの贅沢品に課税されるもの。課税の線引きが曖昧だったのがシャンプーとリンス。当時、シャンプーは生活[…続きを読む]

2025年8月31日放送 15:20 - 16:30 テレビ朝日
プラチナファミリー(プラチナファミリー)
カリスマ料理研究家・井上絵美さんの暮らしぶりをのぞき見。特注キッチンは長さ6m。収納棚には収集したお皿が500枚以上。また様々なオリジナル食器も制作している。夜はBARいのうえと称して集まった友人とお酒を嗜むという。自宅には夢だった暖炉を2年前に設置した。
井上絵美さんの父・井上梅次監督の作品数は戦後最多116本。台本を父自ら冊子にまとめた唯一無二の作品集[…続きを読む]

2025年8月5日放送 19:00 - 21:00 フジテレビ
上沼&香取の「ずっと伝えたかった」天童よしみ55年前の初恋相手と再会で決着!
上沼恵美子浅丘ルリ子涙の抱擁!

2025年8月5日放送 4:55 - 5:25 フジテレビ
めざましテレビ全部見せENTERTAINMENT
初恋や憧れ、感謝など芸能人たちが心に秘めた積年の思いを相手に伝える、今夜7時放送の「上沼&香取のずっと伝えたかった」。番組後半には、MCの上沼恵美子さん憧れの浅丘ルリ子さんが登場し、24年越しに思いを伝えた。

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