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「浜井信三広島市長」 のテレビ露出情報

原爆ドームは1915年に誕生し建物の一部は当時珍しかった鉄筋コンクリート造り。日本で初めてバウムクーヘンが販売されるなど発展する広島の象徴だった。1945年8月6日広島に原爆が投下される。終戦後、復興が急速に進む町では原爆ドームに対し複雑な思いが交錯していた。被爆体験者の3人に1人が見ると辛い記憶が蘇ると原爆ドームの取り壊しを望んでいた。そうした中、原爆症で亡くなった楮山ヒロ子さんが遺した言葉が同級生たちの心を動かしていく。学生たちはビラを手作りしドームの保存を呼びかける署名・募金活動を6年以上続けた。活動がメディアで報じられるようになると全国各地で応援する人たちが続々と現れた。そして1966年原爆ドームの永久保存が決定。
原爆ドームの工事には大きな問題があった。ドームが立っていたのは爆心地からわずか160mほどの距離で爆風を間近で受けた壁はすでに崩壊寸前だった。そこで生まれたのは日本初のある工法だった。壁に触れずに足場を組む通称「もち焼き網工法」。しかしさらなる難題が降りかかる。ヒビ割れは1万カ所以上にも及び、遺跡として永久保存するには傷痕をそのまま残すことが求められた。そこで広島大学・佐藤重夫名誉教授はドームの壁にドリルで穴を開けてエポキシ樹脂を注入する驚きの工法を採用。現在までに計5回保存工事が行われており痛ましい記憶を今に伝えている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年11月18日放送 3:45 - 4:30 TBS
TBS NEWS(ニュース)
JR広島駅の北側にある二葉山。旧日本軍について研究している秋政さんが、専門家らと山を訪れた。見つかったのは防空壕のような施設。今はほとんどが土に埋もれているが、戦時中は陸軍の地下壕として使われていたと考えられている。これまで具体的な場所は分かっていなかった。広島原爆後の復興について、ここで本格的な会議が行われていたという。秋政さんは調査の末にこの場所を特定。[…続きを読む]

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