県民の台所として親しまれてきた第一牧志公設市場。以前の建物は本土復帰の年に建てられたという。新しい市場おオープンは来年3月になるという。それまでは仮説市場で営業している。料理が楽しめる二階フロアでは創業67年の店が構えている。米について、今県内では様々な産地の美味しさを楽しむことができるが復帰前は日本の法律で米の輸出が禁止されていたためにアメリカ統治下の沖縄では日本米を食べることができず海外からの輸入米に頼っていた。そのために、世界的な食料事情の影響をもろに受けてお米が確保できない危機に陥ったという。食料を確保するために奔走したのが1950年創業の沖縄食糧。住民の食料をどう確保するのか?追い詰められた琉球政府は東南アジアにわたり交渉に挑んだが圧倒的な売り手市場で沖縄な全く相手にされなかったという。沖縄食糧創業者の竹内和三郎さんが命がけの熱意でビルマ米三万トンの獲得に成功した。1969年に沖縄の本土復帰が決まると日本の米が沖縄に輸入された。今では様々な産地の米が味わえるのはお米の確保に奔走した先人たちの存在がある。